大いなる旅路

投資家は投資家自身の性格や資金量によって投資手法を構築しなければならないことすでに述べています。投資手法構築に当たっては「相場には何があるか分からない」ことを前提に売買システムを構築しなければなりません。

投資に対する考え方や投資手法は、投資家それぞれに考え方もあると思います。裁量的な売買が得意であればそれでよし。逆張りが得意であればそれでよし。私はシステムトレードであり、また順張り手法を採用しています。これは私の性格に合っているからであり、これがベストであるというわけではありません。

私も当初は裁量的トレードでしたが、気の小さい私は、そのつどの判断に苦慮し迷い、相当のストレスを受けていました。ストレスが大きくなれば平常心は保てず、結局は判断を間違えるという結果になりました。

そして、長い道のりを経て最終的にシステムトレードにたどり着いたわけです。多くのシステムトレードのシミュレーションを行うに当たって、逆張りではシステムが構築できないという結論に達し、最終的に順張りを選択したわけです。

実際にシステムトレードで順張りを行うと、裁量トレードではできない無理な場面にも遭遇します。たとえば、買いから入って順調に上昇となったものの、さらにそこから急騰し、日経平均で1000円も上昇するものなら、所定の買い付け枠を全部買いというサインを出してくるのです。

一般的には1000円も上昇すれば利食いするところでしょうが、順張りでは1000円上昇の後にさらに買い付けすることもあるのです。通常の裁量トレードでは、そこからの買い付けは困難なものかと思います。

つまり、システムトレードの順張りでは、通常は行わないような売買も発生するのです。そのシステムによほどの信頼がなければ実行できないことです。

投資の世界では多くの投資家が負けているという現実があります。この現実は統計上からも否定できないところです。負けの現実の中には、投資の知識も乏しく、資金に任せて売買している投資家もいるでしょう。多少知識があっても追い詰められた状態で大きく損を出してしまう投資家もいるでしょう。

要は多くの投資家が負けているという現実です。それは以前にも解説しましたように「儲けたい、損をしたくない」という感情からくるもので、このような感情で売買すると長い間には全員負けるという結果になるのです。

これらを突き詰めていくと、感情的な売買では儲からないという結論になるのではないでしょうか。これは決して裁量トレードを否定するわけではありませんが、投資では、相場展開しだいでは投資家の感情が揺れ動くこともまた現実です。

感情が揺さぶられれば疲れます。疲れていては良い仕事ができないのも明らかでしょう。そこで「強固な精神力を鍛えて」と言っても、投資とは長い期間続けるものです。はたして人間は長い間緊張状態を保つことができるでしょうか。

このような状況から投資家は投資手法を常に模索し続けているのです。現在の私も、もっと良い方法があるのではないかと模索中です。もうちょっとアイデアのほしいところです。

投資に完璧はないのですから、裁量トレードでもトステムトレードでも良いのです。たとえば、売買の大枠はシステムトレードで、細かな売買は裁量トレードでといった方法もあるのです。

多くの投資家は常に自分に最適な売買法をあれやこれやと模索しながらトレードしていると言っても過言ではありません。投資とは模索の大いなる旅路なのです。

儲けたい、損したくない

投資成果が相場変動に左右されるのは仕方のないことですが、投資家は成果が上がれば、それを自分の実力と錯覚する傾向があります。注意が必要です。もちろん実力のある投資家もおりますので、そのような方はこの限りではありませんが・・・。

しかしながら、多くの個人投資家は希望する成果を得られないでいます。以前にも解説しましたが、投資を始めて5年も過ぎるとほとんどの投資家はマイナスとなっているというデータもあります。

確かに、毎年開催されるトレーダーの会合に続けて参加していると、5年も過ぎればメンバーのほとんどが入れ替わっていることが、これらを物語っているのでしょうか。

売り買いしかない二者択一の世界で、なぜ5年も過ぎると皆負けてしまうのだろうか。半分ぐらいは勝者となってもよさそうなものですが・・・。私はこれらの不思議について以前から考えていました。そして、それなりの結論を見出しています。この点を私なりに解説してみましょう。

まず、初心者に限らず投資家は誰でも「儲けたい、損したくない」という共通の意識で市場に参入してきます。ベテランになってもこの気持ちは変わらないと思います。

私は、この「儲けたい、損したくない」という意識(気持ち)が5年も経てば皆負ける原因ではないかと考えています。つまり「儲けたい、損したくない」イコール「皆負ける」という構図にはならないだろうか。不思議に思うかもしれませんが、例を挙げて解説してまいりましょう。

たとえば、ある銘柄を買い付けしたとします。その後、その銘柄は上がるか下がるかします。もし、買い付け後に下がってしまったとします。その時も「儲けたい、損したくない」という心理が働きます。「儲けたいが下がってしまった」となります。

下がってしまうと損となりますが、その損は「評価損」であり、実損ではありません。そこで、この評価損なら今後上昇となれば損は小さくなり、あわよくば利益となるかもしれないという気持ちになり、「儲けたい」という心理が働きます。投資家なら誰でも同じです。

そうして含み損を抱えながら、どうしたものかと考えます。損は損でも評価損なら耐えられると言ったところでしょうか。そして、塩漬けに・・・。

では、上がった場合はどのような心理状態になり、どのような対処をするのでしょうか。上がれば利益にもなり「儲けたい」という気持ちがどんどん膨らんでいきます。しかし、持ち株が上昇するも何となく不安がよぎってきます。

もし、ここが天井で下げに入ったらどうしようと不安になります。実際に高値から下げたとします。すると投資家は、まず「あの高値で売っとけばなあ」と思います。そして、下げが始まると、高値時の評価と現在の評価を比べて「損をした」と感じます。まだ、評価益があるのにもかかわらず、高値時と比較し損をしたと捉えてしまうのです。ここでも「損をしたくない」という心理が働くのです。

つまり、下がって損におびえ、上がっても損におびえる状況になります。この状態を実際の売買に置き換えてみると、下げられれば「損をしたくない」という心理から実損を嫌い持続することになる。上がれば、儲けたいのはやまやまだが高値覚えで、多少の押しで高値時の価格より損をしたくないので早めに利食いしてしまう。

これでは結果的に「損大利小」となり、これを繰り返して5年も過ぎれば全員が損をしてしまうことになる。何をか言わんやである。このように投資家心理をそのまま売買に繋げるような裁量トレードでは、投資家全員が負ける結果になるのです。

これらは私自身にも共通するものです。であるから、私は裁量トレードをやめて、システムトレードで売買するようになったのです。

心の拠り所

私は常々、投資手法は投資家に合った手法であればよいと述べています。さらに言わせていただければ、投資手法は投資家に合った手法でなければならないと考えています。

なぜなら、投資とは継続して売買を続けるものであり、自分に合わない手法であれば、それがストレスやプレッシャーとなり継続が困難となる可能性が高くなります。それでなくても投資は心労が絶えないのに・・・。

投資手法はどれが正しいというものはありません。投資の基本セオリーを守っていればそれで良いと思います。あれこれ理論をこねくり回しても勝てなければ意味を成しませんし、あまり理論は分からなくても動物的な勘が鋭く儲けている投資家もいるようですし・・・。

投資の世界は「勝てば官軍」的なところもありますが、しかし、一番大事なことは、継続していかに勝ち続けるかにあります。追い風もいつかは逆風になるし、ビギナーズ・ラックもあります。要は、相場動向に大きく左右されず堅実に利益を積み上げていく手法がベストではないでしょうか。

さて前回、投資家の揺れ動く心理について解説いたしましたが、多くの反響がありました。私を含め投資家は皆同じような心理状態になるのだなあと感じました。

ところで、私の売買テクニックについて解説してほしいとの要望がありましたので、少しお話してみましょう。前述のように投資手法は、それぞれの投資家に合った手法であれば良いのであって、私の手法も数多い手法の中のひとつと捉えてください。

私は先物市場で売買しています。まず最初に自己資金に合わせて最大投資金額を設定します。たとえば最大売買枚数を100枚などとします。私はシステム売買ですからシステムからのシグナルの指示によって売買注文を出します。

たとえば、少し相場が上昇気味の場合などは「新規買い20枚」のように指示が出ます。この指示に従って、翌日の寄り付き成り行きで発注します。さらに相場上昇となると「買い30枚追加」となり、建玉は合計で50枚となります。さらに相場上昇となれば追加買いの指示がでます。一発で90枚などと指示が出る場合もあります。もちろん「売り建玉」の指示も出ます。

この一連の売買を見ればいとも簡単なように見えますが、実戦ではハラハラドキドキとなるはずです。なぜなら、仕掛け後に上昇となって利食いしたいところに、さらに「買い乗せ」しているのです。

これらの売買を裁量的な判断で行うとすると「含み益があるので減らないうちに半分だけでも利食いしておこう」と。また「ここはひとまず利食いしておいて、下げたら再度仕掛けよう」などの心理が働きます。誰でも考えるような心理状態です。

しかし、私のシステムは、その心理を逆なでするように、相場が上がれば上がるほど買い増ししていくシステムなのです。実に恐ろしい(心理的に)システムなのです。これを裁量的トレードで行えば胸がはちきれそうになるでしょう。私自身も裁量トレードでは無理です。

なぜそのような売買法になったかと言いますと、第一にシュミレーションの結果が良かったことにあります。結果が良かったとは言え、実際にこれで売買ができるものかと不安があったことは確かです。

そこで冷静になって考えました。多くの個人投資家は結果的に裁量的な売買が多いのではないか。その個人投資家の投資家心理はいつも変わらず、上がれば利食い、下げれば持続となってしまう。多くの投資家は「誰でも考えるような心理状態」での行動となってしまいます。

統計によると、5年以上継続して投資活動を行った結果、収益を上げられたのは総投資家の1%に満たないと発表されている。これはどうしたことか。感情の赴くままに売買すると皆負けてしまうと言うことなのか。

これらを踏まえて、シミュレーションの結果と売買手法が一般的な裁量トレードの逆の売買手法となっていることに採用の決断が付いたわけです。しかし、実戦に入ると「えっ、こんなところで反対売買かよ」「仕掛け枚数が多すぎるんじゃないの」など、心理と大きくかけ離れた場面に遭遇します。

しかし、それであっても一度たりともシステムの指示に違反して売買したことはありません。もちろんシステム売買であっても損の続くこともあります。そこは踏ん張りどころです。自分の作ったシステムを信じるしかないのです。

私の心の拠り所は、私自身の裁量的トレードより、たとえ損となってもシステムトレードのほうが「上」であると固く信じているところにあります。

以上、私の売買手法を説明しましたが「これがベストのようだから真似しよう」などとは考えないでください。何度も繰り返しますが、投資手法にこれが最高などというものはなく、投資家自身に合った手法で行うべきであることをお断りしておきます。

自問自答

まず投資を始めると期待感と不安で気分は高揚する。仕掛け後に株価は上下に不安定に変動する。その変動に比例するかのように気分も上下する。

仕掛け後(買い仕掛けとする)に下げたとする。下げの初期段階では相場とはこんなものだと自分に言い聞かせる。さらに下げると不安がよぎり、仕掛けは間違いだったのかと自問自答する。しかし、その後相場が切り返すと、やっぱり、自分は正しかったなどと思いにふける。

その後、相場がもちあいとなり気分も強気、弱気と微妙にぶれてくる。相場もちあい後に急落。急落の原因は何かと調べまわる。その原因が分かると、急落で損をしているにもかかわらず妙に納得する。急落は自分の問題ではなく他の原因であるなどと自分に言い聞かせて自分を納得させる。

しかし、その後じり安となり漠然とした不安でもんもんとする。ナンピンを入れるのはまだ早いのではないかなどと考えたり、損切りという言葉がチラリと浮かぶ。その後さらに急落。当初決めておいたナンピン水準をはるかに超えての下落である。

「こんなはずでは・・・」とパニックになる。そして正常な思考と平常心は飛んでしまう。パソコンを立ち上げ相場を見るのが怖い。恐る恐るマウスをクリックするとさらに下げている。思考停止となる。

しばらく相場を見ることなく時間が経過し、少し平常心を取り戻す。「やっぱり損切りすべきだったな。あそこで損切しておけば損は半分で済んだのに・・・」。後悔しきり。持ち株はそのまま放置してある。結果的に損失は大きくなる。

ある時、テレビのニュースで相場が急騰しているとの報道があった。急いでパソコンを覗くと以前の損切り水準まで戻っている。これはしめたと思い、持ち株の持続を決める。損切り水準まで戻ったのに・・・。

その後は毎日パソコンを覗いて「上がれ、上がれ」と叫ぶ。世の中そんなに甘くない。相場トレンドは下降であり、その後、さらに前回の安値を割った。

もし、仕掛け後に運よく上昇となったとする。「見込みどおりだ。俺の読みは正しい」などと気分も爽快。パソンコを覗くのが楽しみだ。朝の寄付きが待ち遠しい。そして相場はさらに上昇、ハッピーだ。

相場はその後もじり高となり気分が良いはずだか、少し不安がよぎってきた。この不安は何だろう。儲かっているのに・・・。相場がさらに上昇となると喜びより不安がいっぱいになってきた。

「もし、ここから下げたら儲けが少なくなってしまう」と漠然とした不安が漂う。不思議と最大利益時の記憶は鮮明に覚えている。その後は、その最大利益時が基準になって損益を計算することになる。相場が少しでも下げると「あの時売っておけばこれだけ儲かっていたのに・・・」と。最大利益時の基準がいつまでも忘れられない。今度、最大利益時の水準になったら決済しようと考える。戻るはずはないのに・・・。

含み益が増大してから「もし下がったら」という不安は、仕掛け後に下げて損となっているときより不安が大きいと言う。不思議だ。つまり、損をしているときより儲かっているときの方が不安が大きい。損失に対しては免疫があり、利益に対しては免疫がないからなのだろうか。

相場が下がり、含み益が少なくなってしまうという不安は、投資家を早めの利益確定に走らせる。結果的に利益が小さくなる。これでは相場で利益を積み上げるには程遠い。実は、これは私自身の体験でもあるのです。

以上のように、投資家は常に心の葛藤の連続である。疲れてしまいストレスが蓄積される。そして自問自答の連続である。ストレスが蓄積され心が常に不安定な状態では相場で儲かるはずはない。投資家はこれらについて考えてみる必要があります。

「己のほかに敵はなし。向かう敵は自分だけ」

損を受け入れる

投資家は誰でも自分に合った投資手法を探し出そうと必死です。それがテクニカルであれファンダメンタルズであれ、投資家の資金量や投資家の性格に合った投資手法で売買すればよいわけです。

ただ、ここで注意しなければいけないことは「相場には何があるか分からない」ということを前提に売買システムを構築しなければなりません。暴落が起こらないという保証は何もない。投資手法はこれらを考慮して構築すべきです。

万が一、暴落などに巻き込まれると、投資理論や分析手法など一切機能しなくなります。投資家もパニックになり、何をしているのか自分でも分からなくなります。時間が経過して、あの時、何を考えていたんだろうと思い返しても思い出せない。

このような経験はなかったでしょうか。投資経験が浅い投資家はあまりピンとこないかもしれませんが、投資とは継続していくものであり、長い投資期間の間には考えもしなかったような相場展開が一度や二度は必ずあります。投資市場は甘くはないのです。

ある退職者が私のところに来て「今まで投資経験がないが、退職金で少し株式投資をしたいんだが・・・」と言う。私は何を勘違いしているのだろうかと思った。投資市場を甘く見すぎているようだ。

人は「投資家は楽して儲けている」などと批判的に言う。とんでもない話だ。現在投資活動を実践している投資家には理解していただけると思いますが、私から言わせて頂ければ、投資の世界は一般社会で働いているより何十倍も厳しい世界なのに。

私は今まで「投資を始めたいんだが」という人に投資を勧めたことはない。特に年配者に対しては「老後を楽しく過ごしたいなら絶対に投資の世界に入ってはならぬ」と言っている。

会社勤めなら人一倍頑張れば給料も上がるだろう。少し休んでも給料は下がらないだろう。しかし、相場の世界はそうはいかない。どれだけ頑張っても損は出る。何の保証もない。

投資経験の浅い投資家は損が許せない。自分の決断において実践した投資で損失を被ることは自己否定のように感じる。そして葛藤が始まる。投資の世界は平常心で対処しなければならない。それでも損は出る。ましてや損失が積み上がってパニックになっては勝てるわけはない。

一般社会では「損」という概念は少ない。買い物で「慌てて買って損をした。もう少し待てば安く買えたのに」、ぐらいはあるかもしれないが、相場の世界とは大違い。相場の世界では持ち出しの実損となる。

一般社会では「持ち出しの実損」というケースはめったにないだろう。と言うことは、実損の体験がないということになる。そのような人が投資市場に参入して、はじめて持ち出しの実損となれば、経験がないのでパニックになるだろう。

特に、主観的や感情的な売買では精神的ショックも大きいだろう。投資で損が出ることは頭では理解しているだろうが、実際に損を体験すると投資家の潜在的な性格が表に出てくる。そして、自分でも気づかなかったような自分自身の性格を知ることになる。

このように相場の世界は一般社会では経験しないようなことが起こる。投資では損は必ず付きまといます。そのためにも「損を受け入れる」という気持ちをあらかじめ理解しておかなければなりません。その心の準備が投資家の必須のアイテムになります。

余計な苦言を呈したようですが、私自身の反省とともに相場の本質(損)をしっかりと見つめて投資の原点に立ち返り、一年を締めくくりましょう。

技(わざ)

ある動画をみた。それは格闘技であった。最近の格闘技は激しく、立ち技、寝技の何でもありの総合格闘技だ。金網デスマッチもあり、まるで闘鶏や闘犬、闘牛を見ているようでもある。一部には熱狂的なファンがいるようだ。

人間はより豊かになると、より刺激的なものを求めるという。昔にさかのぼるが、ローマ帝国の多くの都市にはアンフィテアトルム(円形闘技場)が存在しており、そこで剣闘士同士、あるいは剣闘士と猛獣などとの戦いが繰り広げられたとある。

なんとなく、現在の総合格闘技とローマ帝国時代の剣闘士同士の戦いが似ていると感じるのは私だけだろうか。このように格闘技をみても、その時代、時代の世相を表しているような気がする。考えさせられます。

日本の古来からの武道は、柔道や剣道、また空手などが代表されるであろう。これらはいずれも戦いから発生したものであり実践的である。これに対して「合気道」という武道がある。この合気道は攻撃ではなく、防御に徹した技である。つまり、護身術でもある。また、合気道は他人と優劣を競うことをしないため、試合や競技を行いません。

上記の総合格闘家の身体は筋骨隆々でとても強そうに見えます。一方、合気道の開祖、植芝盛平(うえしば もりへい、1883年~1969年)は、身長156㎝ながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝で知られ、また老境に至っても多くの神技を示し不世出の達人と謳われました。つまり、「柔よく剛を制す」と言ったところでしょうか。

アメリカのアクション俳優のスティーブン・セガールも17歳で来日して英語を教えながら、禅や合気会で合気道を学んでいる。

投資の世界では、我々個人投資家は、投資の世界から見れば小さく無力な存在でしかありません。大きな波がくれば、ひとたまりもなく飲み込まれてしまいます。

そのような小さな無力でしかない存在の個人投資家が、相場という荒波を乗り越えて生き抜くにはどのようにすればよいのだろうか。投資資金だって投資知識だって大手の機関投資家には劣っていることは明白の事実です。

我々は相場の世界の中で、身体的な面からみれば、上記の植芝盛平氏のようなものでしょう。その弟子、塩田剛氏も身長154cm、体重46kgと非常に小柄な体格であった。しかしながら、植芝盛平氏をはじめ塩田剛氏は武道家として世界中に知られており、各国で多くの合気道の道場を開いています。

武道家は身体的に強固でタフでなければいけない。これが一般的な認識であろう。しかし、植芝盛平氏や塩田剛氏は当時の日本人の平均的な体形ではなかったろうか。どこにでもいるおじいさんのようであった。

筋肉隆々の格闘家は投資の世界で言うならば機関投資家やファンドと言ったところでしょうか。一方、体の小さい、一見ひ弱そうな武道家は、我々個人投資家に当たるのだろうか。しかし、一見ひ弱そうな武道家が大相撲力士を投げ飛ばすところに何があるのだろうか。

それは「技」以外にはないだろう。技を磨くことによって、小さいからだの武道家が大男を投げ飛ばすことができるのです。

投資の世界には初心投資家から巨大な機関投資家が同じ土俵で戦います。不公平のように思われますが、これが投資の世界なのです。弱肉強食のような世界でもあるのですが・・・。

我々投資家には戦う相手は見えない。見えない巨大な敵に向かっていくためには、それらに優る武器や技や知恵が必要です。その中でも磨かれた技は、武器や知恵の集大成であり、あらゆる敵に対峙できます。

投資家の皆さんも、巨大な見えない敵と戦うには、やはり自分なりの技(ノウハウ)をしっかり身に着けることが必要です。技こそ力なりなのです。「発明や発見は一人の個人から生まれる」と言われています。個人を侮るなかれです。

個人投資家でも「技」があれば巨大な敵にも対等に戦うことができるはずです。よって、技を磨くことが勝利への近道と言えるのです。頑張りましょう。

過去・現在・未来

株式市場はここのところの上昇から少し小休止状態のようです。これは、これまでの急激過ぎる値上がりへの自然な反応とも考えられるが、ヘッジファンドが関わっているという説もある。

今回の上昇は9月初旬から押し目らしい押し目もなく上昇した。それ以前は小さな往来相場が続いており、利鞘が発生しない投資家泣かせの相場展開であった。往来相場での売買は、押し目買いの吹き値売りで対応できるが、一旦トレンドが発生すると押し目らしい押し目がないため、仕掛けのチャンスがない。

よく昔から言われる相場格言に「押し目待ちに押し目なし」とあるが、今回の上昇もこれに当たるのではないだろうか。ところが、やっと待ちに待った押し目がきたので仕掛けてみると、それからズルズルと下げてしまったなどという経験はなかったでしょうか。

結局、上記の相場解説や相場判定も過去の解説でしかないのですが、では、投資家は何を根拠にこれらの判定をしているのでしょうか。多くの投資家の判定根拠は過去の経験や体験からではないでしょうか。

システム売買でもない限り、今まで体験してきた売買の積み重ねからきた「ひらめき」や「勘」によるところが多いのではないだろうか。つまり、過去のデータからの判断ということになる。

テクニカル分析は過去のデータを分析して、現在の相場水準や今後の予測をするものである。また、ファンダメンタル分析も過去の業績から今後の展開を予測するものであり、テクニカル分析もファンダメンタル分析も大局的には過去の指標をベースに判定しているため同じようなものではないか。

また、「ひらめき」や「勘」も過去の成功や失敗を体験して、これらをベースに判定している。つまり、すべては過去の出来事を基にして考えるものであろう。もし、過去のデータが何もなかったら未来を予測しようとしても不可能ではないか。

歴史を学ぶことも、過去はこのようであったから現在はこのようになっている。また、未来はこのようにしなければいけないと考えるものであり、これが歴史を学ぶことの必要性だろう。

このように、学ぶということは過去から学ぶことであり、過去を学ばなくして未来は分からないといっても過言ではないだろう。学校の勉強もすべて過去を学んでいるということになる。

ここで考え頂きたい。現時点は将来から見ると過去になる。そこで『 今、目の前にある状況は、すべて自分が過去に選択(決断)した結果である。よって、現在の決断は将来の自分の姿となる。今、何かを決断しなければ将来は何も変わらない』とならないだろうか。

これらを突き詰めていくと「現在」は過去でもあり、未来でもあることになる。よって、人は将来をすばらしいものにするために努力するものであり、常に精進に努めなければならないということになる。

私も過去のデータを分析して、より良いシステム作りに精進しています。

統制経済

一般に株価は市場金利と企業業績で決まると言われています。景気低迷期には、市場金利も低く抑えられため、高配当などの利回りの高い銘柄などが物色され金融相場を演出する。また、好景気時期には、好決算や予想業績の良い銘柄などが物色され業績相場となる。長期的な視点から見ると、このような展開で株価は循環するものです。

しかし、実際の株価変動は、すべてこのように理想的に、また理論的に変動しているわけではない。株式市場は、情報や材料といった投資家の先取り的な思惑や突発的な事件、事故なども織り込みながら変動するため、適正な株価水準を容易に判断できるわけでもなさそうです。

このように、実際の株価の水準や変動は、あらゆる要因を取り込み変動しています。基本的行動として、今は市場金利が低いから、利回りの高い株式投資をしよう。この企業は、技術開発力がすばらしいため将来性があるので長期投資しようなどと、その投資要因や内容から投資を決定するわけです。

投資先が決定されると、今度は市場において、実際に資金を投資するという行動に移ります。この行動が「需要」となるわけです。その「需要」に至るまでの根拠はさまざまですが、実際に資金で買いに入るため、これが実需となって、実際の株価にインパクトを与えるものです。

改めて説明する必要もありませんが、短期的な株価は実際の需給関係で変動しているわけです。業績が良いというだけで株価は上がりません。これらを裏付けとして多くの投資家が買い(実需)に入って株価を押し上げるわけです。また、暴落時のように、理論的解散価値(PBR)を大きく割り込んでしまうという現象も需給関係で引き起こされるものです。

また、以前のバブル崩壊時に政府は、株価をこれ以上下げさせないようにと公的資金を使って、日経平均が2万円を割れないように、PKO(プライス・キーピング・オペレーション)を行いました。しかし、その下値サポートラインも突破され、今度は2万円が上値抵抗線となってしまった。

これらを証明するかのように、2万円のしこりが取れたかのように、今回の日経平均は2万円を抜いて直線的に上昇してきています。先のことは分かりませんが、このような需給関係が株価変動に影響を及ぼすことになります。

市場変動は市場に任せるべきであって、安易なてこ入れなど考えるべきではないことが証明されたわけです。安易なてこ入れや規制は逆効果になる場合が多いものです。中国の株価を見てみるとよい。

中国の株価は2015年の最高値から急落し、3000ポイント強で2年近くも横ばいで推移しています。これは当局の指示により株価維持策がとられているためです。不動産についても然りです。不動産についても当局の指示により不動産価格維持策がとられています。

もはや中国の名物と言ってもよい「鬼城」(住む人のいないマンション街)は有名な話で、中国に数多くある地方都市に多く存在しています。それなのに・・・。

このようなことから、最近は特に中国崩壊論が巷にはびこっているようです。中国貿易指標である輸出入指数も下がっているのにGDPだけはプラスで推移している。どういうことなのか。一般に、経済評論家の間では中国の経済指標は捏造されたものであると言っている。まさしくその通りだろう。

しかし、バブル崩壊の様相もない。なぜだろうか。それは、そこに資本主義と共産主義の違いを見ることができる。かつて日本ではバブル崩壊後、失われた20年といわれ景気低迷が続いた。

しかし、日本のバブル絶頂期の経済指数と現在の中国の経済指標を比較しても、現在の中国の経済指標は恐ろしく悪い。しかしながら、明確なバブル崩壊とはなっていないようだ。なぜだろうか。

資本主義では経済は需要と供給で決まる。中国も経済は資本主義のようではあるが、基本は共産主義である。中国の実体経済から見ると、株価、不動産価格を需給関係からみればとうに崩壊してよいはずである。

それは中国は資本主義と異なる点、つまり共産主義の得意技である「統制経済」を発令しているからである。たしかに、当局から株価を3000ポイント以下にはするなと指令が出れば、空売りさせない、株主は持ち株を売ってはならないとなる。不動産価格でも同様である。もし、これらに違反した者は罰せられる。資本主義経済ではありえないことを共産党一党独裁での「統制経済」ではこれが可能となる。

では「統制経済」の末路はどのような結果になるのだろうか。上記の日本のバブル崩壊後の株価対策であった「統制経済」のような日経平均2万円維持策後の経過を見てみれば分かるだろう。これを中国では株価維持だけではなく、あらゆる国内経済に適用しているため、その末路は通常のバブル崩壊の比ではないだろう。

過去、世界は栄枯盛衰を繰り返しながら現在に至っている。歴史を振り返って、衰退あるいは滅亡した国には共通の課題がある。それは「自由」と「人権」のない国はいずれ衰退、滅亡となっている。また、革命などによって自由と人権を獲得した国は繁栄している。

我々の日本では自由と人権は保障されている。自由経済の代表である投資市場も自己責任において自由に活動できる。大いに活躍していただきたい。

大多数の意見

多くのテレビのニュースの最後に本日の相場指標を報道している。また、経済番組の解説では、今後の経済見通しから株価予測まで広範囲にわたり報道している。不安を感じている投資家の多くがこれらの記事を読み、自分なりの方向性を見出そうとしています。

しかし、メディア報道の多くは、大多数に迎合するような内容となっている場合が多いようです。経済学者などを招いて解説しているようですが、その報道もマニュアル化されていて、それらに沿った報道となっているが、その内容には責任を持たない。責任を持ってといっても無理な話ではあるが・・・。

その結果、これらの報道から得た情報は、多くの投資家の思惑とする市場の方向性をも洗脳することになる。メディアに洗脳された大多数の投資家は、結局、同じ行動をとることになる。相場の世界で「大多数」は損を意味する。

メディアは、その経済見通しや株価予測の結果に責任を持たない。しかし、内容の良し悪しは別として、その報道によって人々をある一定の方向に向かわせてしまうことになるのではないか。相場の世界では、これらの行動は「烏合の衆」と化してしまう。

投資経験のない人が大きな相場下落をみて「ここは底だ」と叫んだという。人間は変化に対して、本能的に何か感じるものがあるようです。しかし、その本能的な感覚は、大多数の人間が感じるものではないだろうか。

多くの投資家は「株は下げたところで買う、高くなったところで売る」ということが大多数の考え方でしょう。たしかに理論はそうだろう。しかし、その大多数の考えと行動が損を招いているのも事実です。

私は大多数の考えと異なり「上げてきたら買う、株は下げてきたら売り」という順張の売買に徹しています。順張りは少数派の考えと思うのですが、決して、順張りでなくてはならないという意味ではありません。

また、私は相場に対して「今後の相場展開を予測しない」「売買に主観を入れない」「売買は順張りで行う」「リスクヘッジを取り入れる(損切りを含む)」を念頭に売買のシステム化をはかり運用しています。

これらにより、どのような相場展開でも大きな損失を被らず、継続的な運用が可能となっています。投資では誰でも大きく儲けたいと願うものですが、その前に大きく損をしないことを先に考えるべきではないだろうか。

今回の衆議院選挙のように、民主主義国家では選挙を行い多くの得票を得た立候補者が当選する。そして、国会では法案に対して論議を交わし、最終的に多数決で決まる。

我々は、これらの結果を当然の結果として受け入れています。民主主義では多数決で決めますが、相場の世界は大きく異なります。相場の世界で大多数(多数決)は損をすることになりますので・・・。

聞いた話だが、以前に「投資クラブ」なるものがあったという。。その投資クラブは投資方法や投資先をクラブ員が相談し、合意のもとに投資されるという。その結果はいかなるものか分からないが、現在は存在しないということであるから結果が芳しくなかったのではないだろうか。

多くの投資家が集まり、合議制で決定するということは、上記の「大多数」に類似するのではないだろうか。あまりメンバーが多くなりすぎで「烏合の衆」と・・・、これは言い過ぎでした。失礼。

以上のように、多数決に慣れている我々ですが、相場の世界だけは大多数の意見に惑わされることなく、自分の投資信念を貫いて実践したいものです。

新たな視点

株式市場は2万円台の攻防を抜けて上昇トレンドとなりました。買い方には有利な展開です。買い方は収益が上がり満足しているのではないでしょうか。しかし、慢心は禁物です。「勝って兜の緒を締めよ」「追い風はいつか逆風となる」とありますので十分慎重に行動してください。

実力があれば追い風も逆風も何のそのですが、実力のない投資家は「たまたまの偶然」を自分の実力と錯覚する傾向があります。「慢心は山の頂き。慢心は下り坂の始まり。慢心は後になってから気づく。驕れる者久しからず」ですので十分注意か必要です。

投資市場は世の中のあらゆる事象を織り込み変動しています。また、人々の期待や願望もこめられて変動します。この期待や願望が市場が先行指数として現れてくるのです。いずれにしても、市場指数を見ていれば現在の経済状況や今後の見通しもある程度把握できるのではないでしょうか。

とは言うものの、我々投資家には現在の相場指数のさらに先を読んで投資活動をしなければなりません。これがまた難しいのです。従来の投資(長期投資)のように、名の通った有名ブランド銘柄に投資しておけば間違いないと言われる時代は過ぎ去ったのです。

その代表格である東京電力、東芝、シャープ。最近は日産や神戸製鋼所、スバルなどで問題が発生し、日本本来の技術力や企業モラルが低下しているように思えてなりません。

ある著名な投資家の投資判断は、まず代表者の企業理念や信念を投資の重要な判断基準にしているという。これは私も正しい投資判断であると思います。やはり企業のリーダーの舵取りいかんで企業の成績も左右される。

現在の大企業のリーダーの多くは「雇われ社長」である。うがった見方で申し訳ないが、雇われ社長には任期があり、その任期期間中は成果を上げようと思う反面、何ごとも不祥事は起こさないで済まそうという気持ちもあるだろう。オーナー社長とは異なった立ち位置ではないだろうか。

これは個人的な見解ですが、私には「企業の巨大化、雇われ社長」は、企業が「役所化」しているように思えてならない。また、大企業には外国人社長が散見される。グローバル化でやむを得ないところだろうが、なんとなく合理主義一辺倒のようにも見える。

日本独自の良さが失われつつあるような気がする。これも時代の流れなのかなあと思うところです。物事には必ず功罪がある。グローバル化もよいが、その負の部分にも目を当てて考える必要もあるのではないだろうか。

以上のように、現在は我々投資家が投資判断をする上で、従来の尺度では測れないような状況にあります。時代の変化は早いものです。これからの投資活動も新たな視点から判断する時代となってきます。