吾唯足知

株式投資とは、「今後成長が期待できる企業に投資して、その見返りとして配当を受け取る」ということが一般的です。これらの配当が投資の収益となります。これらが株式投資の原点であり、正しい姿であろう。

その投資の派生として、キャピタルゲインによる収益がある。我々投資家は、主にこのキャピタルゲインによる収益を求め投資活動を行っています。しかし、このキャピタルゲインによる収益は、株式投資の本道から外れるものではないでしょうか。

キャピタルゲインによる収益を求めることは、本来の投資の姿ではないわけであるから、そこに当然ながらリスクというものが発生することになります。そこで、我々投資家は、これらのリスクを承知で株式投資を行っているわけです。

配当による利回りはわずかなものです。しかし、投資の原点はここにあるのです。これらの原点である配当利回りを超えた収益を望むとき、そこにはリスクが発生し、望むリターンが大きければ大きいほど、そのリスクも大きくなるということです。

投資の世界では、当然ながらできるだけ大きなリターンを求め奔走するものです。今回の金融危機は望むリターンが大きすぎたために暴走し、破綻を招いたものと考えられます。

投資家は夢を持って市場参入してきます。投資金を2倍も3倍にもしようと・・・。しかし、投資で安定した収益を上げようとした場合、その収益は投資家が考えるような大きな収益にはならないということを理解していただきたい。

『吾唯足知』 (われ ただ たるを しる)と読む。

これは、京都・竜安寺にある蹲踞(つくばい)に刻まれている言葉です。蹲踞とは、茶室の庭先にある石の手水鉢(ちょうずばち)のことで、この手水鉢が低く据えてあって、茶客が手を洗うのに、つくばうから、蹲踞と言うようになったものだそうです。

その意味は、
「人は欲張らず、今の自分を大切にしなさい」という意味で「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」ということのようです。

投資の世界に当てはめると「あまり欲張るな」ということでしょうか。上記のように、投資における利益は配当が原点であり、これらから大きくかけ離れた利益を求めようとすると、そのしっぺ返しが必ずきますよ、ということです。

迷った時は、先人の知恵を借りることも必要かもしれませんね。

Copyright(C)SPS研究所 照沼佳夫
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