自分で決められない

最近のスイスフラン・ショックやフランスでのテロ事件、ISISに拘束されている日本人の問題、さらには原油安の問題にとニュースが世界中を駆け回っている。投資家はこれらの情報を取り込み、投資判断をしなければならないのだが・・・。市場関係者はその要因を分析し、あれこれ言っているようです。

しかし、こんなことで為替や株価変動を説明するのは早計だろう。なぜなら、現在の事態は延長線として十分想定でき、すでにマーケットに織り込まれているはずだからである。

相場における材料はなんであれ、解釈は相場次第と言える。同じ材料でも、蒸し返されるとまったく違った相場がみられるのは、その本当の原因が材料自体にあるのではなく、マーケット自体の構造や投資家の心理にあるからである。いつものことながら後講釈であれば何とでも説明できる。やはり、情報や材料には振り回されないことが肝心です。

投資判断は、あくまで投資家一人ひとりが自分で決めるものです。「投資クラブ」のような形で投資家が集まって勉強会を開いたり、自分の体験を語り合ったりするのもよいのですが、最終的には自己責任、自己判断です。ところが実際には多くの投資家が、自らの資産をかけた大事な判断を人に頼ってしまうのはなぜでしょうか。

株がかなり値上がりしてきたため、そろそろ売却して利益確定したいと考える。そして取引している証券会社や株仲間に連絡して「だいぶ上がってきたからねえ。君はどう思う?」と意見を求めます。最終的に売るかどうかの判断はご本人次第なのですが、証券会社や株仲間の意見も一応聞いておきたいという心理がはたらく。

証券マンは手数料の関係で「そうですね。そろそろ売り時かもしれませんね」と言う。株仲間には同じ銘柄を持っている人がいないので「儲かっているなら売っちゃえば」と言う。どういうわけかほかの投資家の動向を非常に気にするのです。

しかしながら、本人は「まだまだいけるのでは」と心の中で葛藤する。散々悩んだ挙句、再び証券会社に電話する。「どうかね」と。証券マンが「やはり高値になったため売ってはどうですか」と言う。本人は「手数料稼ぎをしようと思ってるんだろう。その手には乗らんぞ」などと考える。

すると証券マンは「分かりました。このまま持続と言うことですね。この銘柄を持っているお客さんからかなり売り注文が入ってきたので、そろそろ売り時かと思っていましたが・・・」と。

すると「えっ、みんな売っているのか?。どうしてそれを先に言わないんだ。まったく。私の持ち株もすぐに売ってくれ・・・。」

集団心理と言うか群集心理と言うか、そこに自分の投資戦略、投資判断など一切ありません。結局は、負け組みという烏合の衆に成り下がってしまうのです。自分で判断できるだけの情報を持っていない場合に、ほかの人と同じ行動をすることによって安心することになります。安心することと儲けることとは次元の異なるものであることは理解していると思うのですが・・・。

確かに、不安になれば誰かに意見を求めたくもなります。投資という不確実な選択をしなければならない人間心理としてある程度やむを得ないでしょう。

投資判断というのは儲けや損失を左右する極めて重要なものです。ほかの人がどう動いているかという判断も重要ではありますが、あまり外部の意見などには振り回されない方が賢明でしょう。

相場の鉄則

私は日ごろから相場で一番難しいことは、銘柄の選び方でもなく相場の見通しでもなく、それは投資家の感情のコントロールであると解説しています。投資家であれば株価の変動に感情が揺さぶられ一喜一憂します。まさしく、相場は「歓喜と絶望のゲーム」であると言われる所以です。

投資の世界に「大きく儲けてやろう」と意気込んで入場するも、当初考えているような甘い世界ではないことにすぐに気づきます。初心者が投資の世界に入り退場していくまでの期間は、おおむね4年から5年と言われています。

相場の世界を甘く見ているからだと言われればその通りなのですが、私は投資で成功するには、投資技術より、投資家の心構えや投資の本質を理解することが先ではないかと考えます。

ここで「投資とは何ぞや」について考えてみたいと思います。投資の基本中の基本の解説ですが、あらためて投資の原点に立ち返って考えて見ましょう。

『相場に正解は無い、常に謙虚になれ』
いつも申し上げていることですが、相場の世界には答えがありません。相場の世界は常に迷いの世界でもあるのです。であるから、たまに大儲けしたとしても有頂天にならず謙虚になることです。「勝って兜の緒を締めよ」

『経済学は通用しない、常識のない世界である』
経済学の理論が通用するならば経済学者は皆お金持ちです。投資では学校で学んだ経済学など通用しません。相場は経済学とは別次元のものなのです。投資とは、安いところで買って高いところで売るという常識は誰でも知っています。もし、この常識が通用するなら投資家は誰もお金持ちになれます。

『大敗したトレードの原因は自分の中にある』
投資とは投資家の体験の中にあるものです。成功体験、失敗体験は投資家それぞれ異なります。それぞれの体験の中に学ぶものがあり、それらが投資家の投資スタイルを形成していくのです。

『相場の世界で正しいのは価格だけである』
投資評論家の話など聞く必要はない。評論家はもっともらしい理論を振りかざして、解説するが当たりはしない。無責任極まりない。「相場に経済学(理論)は通用しない」である。常に株価は正しい。信用できるのは株価だけである。

『長い航海の途中に嵐に遭うのは必然的である』
相場にはクラッシュはつきものである。順調に稼いで利益を積み上げてきても一度の暴落ですべてを失うこともある。初心者は万が一の暴落に対しての備えがない。やはり、リスクの多い投資の世界にはヘッジは不可欠です。

『相場の世界に近道なし、本質は単純なもの』
何の世界にもビギナーズラックはあるものです。たまたま上昇相場に乗って稼いでも、追い風もいずれ逆風となるものです。慢心は山の頂です。投資とは売りと買いだけです。あまり難しく考えることはありません。シンブル・イズ・ベストです。

『負けは素直に認め、期待はするな』
投資の世界は負けの続くゲームであると言われています。負けは素直に受け止める必要があります。負けが認められず「もう少し、もう少し」と頑張っているようでは投資家失格です。

『最終的な勝者は全体の3%』
投資の世界は理論も通用しない、常識も通用しない世界であるため、最終的な勝者は一握りの投資家だけである。この現実を理解し取り組まなければなりません。

『勝者は夢をみない、勝者は常に孤独である』
投資とは人を介さない孤独なビジネスです。ひとりで考え悩むと、その答えは必ず曲がると言われています。孤独に耐え、現実を直視して、感情を抑えてひたすら売買を繰り返しすことに耐えられる者が最後の勝者となれるのです。

以上のように、投資の鉄則は誰でも知っていることです。これらができるかできないかではなく、やるかやらないかです。

ひたすら続けることである

長く投資活動を行っていると、投資家にとって適した相場環境とならない場合があります。たとえば、行ったり来たりの往来相場であったり、急騰急落の相場であったりでは、その判断に苦慮し収益もままならないものです。

相場が悪い時というのは、相場が良かった時の手法を使用しても利益が出せないことが多かったりします。そこで、そのような環境下では「休むも相場」との相場格言を思い出し、一時的にでも休みたい気分になります。

適した環境でない相場変動などの時は慎重に取引をする必要があるのですが、常に申し上げていますように、相場環境が悪いといっても全面撤退はあまりお勧めできません。

確かに、相場環境には勝ちやすい相場と勝ちにくい相場があるのも事実です。当然のことながら、勝ちにくい相場の時はあまり手を出すべきではありません。やけどをしないために休みをとることも選択肢のひとつとなります。しかし、そうなってくると相場が良い時と悪い時の見極めが必要になってきます。

これらの見極めは「日々の出来高が少なくなってきている」「直近に非常に大きな下げがある」「それまで強い動きをしていた個別銘柄の動きが一気に鈍くなる」「金融株の動きが鈍くなる」などと相場環境を解説している文献もあるようですが、相場が良い時と悪い時の見極めは、相場の見通しを予測するのと同じように後になってからでないと結局のところ分からないものです。

私は、このようなことから、手が合わないときは投資資金を減らすことは良いと思いますが、全面撤退はあまりお勧めできません。

相場環境が悪くなってくると「様子を見よう」「様子を見てから」という言葉をよく使います。これらの言葉は投資判断として適正と思われがちですが、私は間違っていると思っています。

「様子を見よう」「様子を見てから」は、判断、決断ができない状態でもあるのです。判断、決断から逃げていることでもあるのです。投資においては「適切な判断」が要求されるところですが、「様子見」は、その判断を先送りしているだけなのです。つまり、優柔不断であるということです。投資において、優柔不断では儲かりません。

私の「迷言集」に『逃げては何も残らない。逃げてもまた元のところに戻るだけ。今逃げたら、明日はもっと大きな勇気が必要となる。逃げずに困難に立ち向かえ』とあります。これは私が相場体験の中から自戒を込めて出てきた言葉です。

「休むも相場」を別な角度から見てみると、収益が上がらないから休んで様子を見ようということではないか。ここでの休む根拠は「収益が上がらない」が理由となりますが、収益の上がらないのは相場の問題だけでしょうか。投資家自身に問題はないのだろうかと考えたことがあるだろうか。

結局、堂々巡りで結論の出ないところですが、つまりのところ分からないということなのか。そうなのです。相場は分からないのです。だから、成績が上がらないときも、その原因が相場にあるのか投資家自身にあるのか明確ではないのですから、成績が悪くても少しずつでも続けることが肝要なのではないでしょうか。

続けることによって分かってくることもあるだろうし、経験も積み上がってくるものでしょう。それが「力」となってくるのです。

「迷言集」から・・・、『「力」とは繰り返しの結果である。目標と信念と情熱を持って、良いときも悪いときも、ひたすら続けることである。』