バブル期に学んだこと

書店の友人が書籍を送ってきた。その友人からは、いろいろな書籍を頂くが、今回は週刊東洋経済の「最後の証言・バブル全史」であった。バブルを経験したことのない若い人には読んでもピンとこないかも知れないが、バブル期を経験した私にとっては、バブル期はまさに狂った状態であったように回顧する。

私はバブル期に自分の不動産の市場価格を調べてみた。すると想像も絶するような価格であった。当時、私がこの不動産をその価格で取得しても、そこから収益が生まれないと思った。まさにそのような状態であった。

そこで私は即座に売りに出した。結果的にバブルの絶頂期に売ったことになる。当時は株式投資も行っていたが、不動産売却の利益は株式投資の何十倍にもなった。株式投資より不動産売買のほうが自分に合っているのではないかと勘違いした時期でもあった。

振り返ってみると、バブル期はやはり異常としか思えない。当然ながら証券業界もバブルに酔いしれていた。仕手集団が跋扈し株価も異常につり上がった。不動産においても乱脈融資、反社会的な勢力への融資などがまかり通ってバブルを形成していった。

後で考えることではあるが、そのような状態が続くわけもなく、結局はバブル崩壊となるのであった。しかし、初めてバブルを経験した人にとっては「世の中とはこういうものだ」と思い込んでいる節があったようだ。

「夏草や兵どもが夢の跡」とあるように、バブル崩壊後は失われた10年、あるいは20年と言われた。山一證券や北海道拓殖銀行などが倒産した。

企業経営や株式投資でも同様であるが、人は追い風を自分の実力と錯覚する傾向がある。自分の実力ではないところのパワーはバブルであることに気づかない。この勘違いがバブルを生み出す原因ではないかと考えます。

物事にはすべて「慣性の法則」が働く。慣性の法則とは「止まっている物体に、力を加えなければ、そのまま止まり続ける。動き続けている物体に、力を加えなければ、そのまま動き続ける」。つまり、景気が上昇し始めると、そのまま上昇を続けるというもの。

慣性の法則の「力を加えなければ、そのまま動き続ける」のではあるが、実際にはそこに空気抵抗が発生し、その摩擦で物体はいつしか止まることになる。理論上は「そのまま動き続ける」のではあるが地球上ではそうはいかない。

経済においても同様である。バブルは際限なく続くのではなく、どこかで必ず止まる。そのどこかでの見極めが難しい。最後にババを掴まないようにしなければ・・。
私がバブル期に学んだこと。

『追い風を自分の実力と錯覚するな。追い風はいつか逆風となる』

『欲が絡めば見えるものも見えなくなる。入れ込みすぎは盲目となる。利得を前にしては道義を思え』

『慢心は山の頂き。慢心は下り坂の始まり。慢心は後になってから気づく。驕れる者久しからず』

『楽をして手に入れた金は、人の目をくらまし最後には身を滅ぼす。自分で汗した金以外は身に付かない。浮利を追うな。もらった金は借金より高くつく』

『大衆に迎合するなかれ。行列には並ぶなかれ。何も考えずに行動する群衆となるなかれ』

『自分の「器」以上の金は動かせない。「器」以上の金を動かせば、いずれ自分の金とともに没収されてしまう』

『商機とは時代背景を読むことなり。時代背景に逆行し努力しても労多くして功少なし。ただ、時代の変化は早い』

『お金で満足は買えるが、幸福と知性と品性は買えない。お金の稼ぎ方より、お金の使い方に人格がでる』

『お金は後から付いてくる。金を追うな。お金は行動の産物である。目先の利にとらわれるな』

『ブームはバブル。信念なき者は付和雷同する』

『求める行為は不安を呼び、与える行為は安らぎを呼ぶ。一生を終えてのちに残るのは、我々が集めたものではなくて、我々が与えたものである』

『理にかなわぬところの成功、追い風による成功、悪事による成功は長続きせず、いずれ窮地に追い込まれ、そして報いを受ける。「天網恢恢疎(てんもうかいか いそ)にして漏らさず」』