大多数の意見

多くのテレビのニュースの最後に本日の相場指標を報道している。また、経済番組の解説では、今後の経済見通しから株価予測まで広範囲にわたり報道している。不安を感じている投資家の多くがこれらの記事を読み、自分なりの方向性を見出そうとしています。

しかし、メディア報道の多くは、大多数に迎合するような内容となっている場合が多いようです。経済学者などを招いて解説しているようですが、その報道もマニュアル化されていて、それらに沿った報道となっているが、その内容には責任を持たない。責任を持ってといっても無理な話ではあるが・・・。

その結果、これらの報道から得た情報は、多くの投資家の思惑とする市場の方向性をも洗脳することになる。メディアに洗脳された大多数の投資家は、結局、同じ行動をとることになる。相場の世界で「大多数」は損を意味する。

メディアは、その経済見通しや株価予測の結果に責任を持たない。しかし、内容の良し悪しは別として、その報道によって人々をある一定の方向に向かわせてしまうことになるのではないか。相場の世界では、これらの行動は「烏合の衆」と化してしまう。

投資経験のない人が大きな相場下落をみて「ここは底だ」と叫んだという。人間は変化に対して、本能的に何か感じるものがあるようです。しかし、その本能的な感覚は、大多数の人間が感じるものではないだろうか。

多くの投資家は「株は下げたところで買う、高くなったところで売る」ということが大多数の考え方でしょう。たしかに理論はそうだろう。しかし、その大多数の考えと行動が損を招いているのも事実です。

私は大多数の考えと異なり「上げてきたら買う、株は下げてきたら売り」という順張の売買に徹しています。順張りは少数派の考えと思うのですが、決して、順張りでなくてはならないという意味ではありません。

また、私は相場に対して「今後の相場展開を予測しない」「売買に主観を入れない」「売買は順張りで行う」「リスクヘッジを取り入れる(損切りを含む)」を念頭に売買のシステム化をはかり運用しています。

これらにより、どのような相場展開でも大きな損失を被らず、継続的な運用が可能となっています。投資では誰でも大きく儲けたいと願うものですが、その前に大きく損をしないことを先に考えるべきではないだろうか。

今回の衆議院選挙のように、民主主義国家では選挙を行い多くの得票を得た立候補者が当選する。そして、国会では法案に対して論議を交わし、最終的に多数決で決まる。

我々は、これらの結果を当然の結果として受け入れています。民主主義では多数決で決めますが、相場の世界は大きく異なります。相場の世界で大多数(多数決)は損をすることになりますので・・・。

聞いた話だが、以前に「投資クラブ」なるものがあったという。。その投資クラブは投資方法や投資先をクラブ員が相談し、合意のもとに投資されるという。その結果はいかなるものか分からないが、現在は存在しないということであるから結果が芳しくなかったのではないだろうか。

多くの投資家が集まり、合議制で決定するということは、上記の「大多数」に類似するのではないだろうか。あまりメンバーが多くなりすぎで「烏合の衆」と・・・、これは言い過ぎでした。失礼。

以上のように、多数決に慣れている我々ですが、相場の世界だけは大多数の意見に惑わされることなく、自分の投資信念を貫いて実践したいものです。