マネージメントの欠如

投資手法は投資家の数ほどあると言われています。どのような投資手法であっても、「これが一番」という手法はないわけですから、それぞれの投資家の性格や資金量などに合った手法で運用されればよろしいと思います。

ファンダメンタルズ分析でもテクニカル分析、あるいは両方でも、要は継続的に収益が上がれば良いわけです。投資家は皆、自分に合った投資手法を駆使し日々投資活動を行っています。

ある投資家が言った。「長年投資活動をしているが、収益が安定しない。大きく儲かることもあるが、大きく損を出すこともある。資金効率が非常に悪い。これらを何とか改善できなものか」と。要するに儲からないということであろう。

その投資手法を尋ねてみると、主にテクニカル分析が中心でパソコンに表示される分析指標を組み合わせるなどして売買しているとのこと。主にRSIやストキャステックスなどのレシオ系の分析指標を採用していると言う。

RSIやストキャステックスなどのレシオ系の分析指標は、その指数を0から100までの範囲に収め、25以下は買い、75以上は売りなどとしている手法が多い。

これらの分析指標を利用するには、いくつかの問題点があります。まず、買いの場合、指数が25以下となったので買いに入ったとします。そこまでは良い。買いに入ったものは、いずれ売り決済しなければならない。売り決済は、指数が75以上となったところであるので、その水準になるのを待つ。

しかし、ここで考えてみてください。25以下となって買ったとしても、いつになったら75以上で決済となるかわからない。25以下で買ったものの75以下水準で推移していた場合や更に25以下の水準に長期間停滞していた場合には、株価は買値より大きく下げている場合が多い。

それでも忍耐強く75以上になるのを待つのでしょうか。もし、相当期間後に75以上となって決済しても結果はマイナスとなってしまうはずです。このような経過を辿った場合に、投資家はどのような判断するのでしょうか。

日本の伝統的なローソク足分析などもにも同じことが言えると思います。もし、買いの型、たとえば、底三尊(ヘッド・アンド・ショルダー)が出現し、買いに入ったとします。その後、売りの型が出現せず、再び買いの型が現れた場合はどのよう対処すべきなのでしょうか。

レシオ系の分析指標で指数が25以下となって買いに入り、その後若干ポイントが上がったものの決済に至らず、再度、指数が25以下となっ場合に、更に買い増しをするのでしょうか。底三尊で買いに入ったものの、その後に三角もちあいなどの上値抵抗線を抜けたら再度買い増しするのでしょうか。

このあたりを明確にルール化しておかないと継続的な運用はできなくなります。もし、再度25以下になったら買い増しをする。ローソク足分析で買い付け後に、更に買いの型が出たら更に買い増しをするとします。

しかし、この買い増しは必ず1回とは限らないはずです。決済に至らず5回も10回も出る可能性だってあります。そのような場合、投資金の配分はどのようにするのでしょうか。

これらは、カイリ率などの逆張りにも言えることです。暴落などの際に、買基準に合格する銘柄は買いきれないほど一気に出現します。このような場合の資金配分はどのようにするのでしょうか。買基準に合格した銘柄は全部仕掛けるのでしょうか。もし、全部仕掛ける資金がなかった場合は・・・・。そのときの精神状態は・・・。

テクニカル分析指標を利用し運用される場合には、上記のような問題が発生します。運用前にこれらを明確にルール化して挑まなければなりません。しかしながら、これで問題が解決したわけではありません。

投資の原点に振り返って考えてみてください。投資とは、投資資金に対するパフォーマンスのはずです。

上記のような投資手法では、「買い」がいつ出るか、また「売り」がいつ出るか分かりません。買いでも売りでも、そのサインが出現するまで待機状態にあります。カイリ率の逆張りのように一気に仕掛けが出ることもあるだろうし、相場急騰場面では、買い仕掛けは一切出ないということもあります。

投資を運用という立場から考えた場合、投資パフォーマンスは常に準備した投資金に対しての利回りであるということです。仕掛けが一切出ない状態でも投資金に対して利回りは計算されます。

たとえば、1千万円の投資金のうち百万円の運用で50%の利益を上げたとしても投資金から考えれば5%の利回りにしかなりません。「休むも相場」と言われていますが、投資を本業とする投資家には休んでいることはできません。

投資家は、常に投資金に対する利回りから、投資に対する考え方や売買手法を構築すべきです。個人投資家には、これらの点(マネー・マネージメント)については配慮が欠けているように感じます。

一般の投資指南書には「ここで買って、ここで売ればこれだけ儲かります」などと解説されていますが、これらは売買技術であって、投資金の配分などのマネージメントについては一切書かれていません。

プロの運用者の間では、売買技術よりマネー・マネージメントが優先すると認識されています。今後は、投資金の配分なども十分考慮して取り組まなければなりません。従来の「売買」から「運用」へと脱皮することです。

私は、これらの問題を解決すべく、投資金が常にフル活動できるようリスクヘッジを採用し、銘柄ランキングによる「どてん売買」での運用を行っています。

レバレッジの功罪

最近の仮想通貨やFX、さらには先物などは、業者に預けた証拠金の数倍から数十倍もの額を外貨に投資できる仕組みですが、これらの倍率(レバレッジ)が高いと相場が予想通り少し変動した大きな利益を得ることができる。ある意味では大いに魅力的である。反面、相場が予想した反対の方法へ変動したなら大きな損失を被る。つまり、高いレバレッジはハイリスク商品でもある。

金融庁はFXに対し、これらの倍率を制限しようとしていたが、業者からの反発が大きく、今回は断念したらしい。これらは外為法改正でFX取引が認められて以降、規制云々するのは初めてのことらしい。

ご存知のように、レバレッジの高い取引は、大損の危険もあるが、大儲けのチャンスもある。最近では、少ない手持ち資金で高い利益を狙えるとみる投資家に人気を呼び、会社員や若い人、主婦層にまで取引が拡大しているようです。

相場が大きく変動すると元金を大きく失う投資家が相次ぐ。レバレッジの高い取引は、ギャンブルのようなものと以前から批判があったにも拘らず、取引業者は、高倍率を競って投資家を獲得しようとしている。

このようなことから、当局も規制に乗り出したのではないだろうか。為替取引業者側は、規制で顧客が離れてしまうと言い、利用者側も規制を望まないとの意見がある。金融庁は「やり過ぎ」「規制不要」との声も多かった。

FX取引を実践していない私としては、これらの問題に意見する立場にはないが、以前の金融危機の要因を思い出してほしい。金融危機は、実体経済から大きく乖離したレバレッジ・バブル経済ではなかったのか。

米国の投資銀行を見てみよう。投資銀行は少ない資金でレバレッジをかけ、大きく運用し大きな収益を上げようとしてきた。07年の3大投資銀行のレバレッジ比率(総資産を株主資本で除した比率)は30倍以上だったと聞いている。

しかし、以前の金融危機で保有資産が劣化したことに加え、資金市場が正常に機能しなくなってしまった。投資銀行が資金を確保するためには銀行に買収されるか、あるいは銀行の持ち株会社になるほかなく、その時点で米国のいくつかの投資銀行は消滅したのである。

皮肉にも日本のメガバンクや大手証券会社の一角は、消滅した米国の投資銀行を買収したりして、それを目指している。気になるところである。

レバレッジに関しては、米国では個人が住宅価格の上昇を期待して借り入れを増やし、この資金を使って消費していたのです。これもレバレッジのひとつです。

また、個人だけでなく、米国そのものが海外から経常収支の赤字をファイナンスし、豊かな経済を保ってきたと言える。しかも経済危機収拾のための財政出動により、さらなるレバレッジを利かせた財政運営となる。

「急いては事を仕損ずる」と言います。あまりにも急速な資金の増大を夢見て、大きいレバレッジを利用することは、その増大以上に大きなリスクが存在することを覚えておかなければならない。野放しの自由は暴走し、崩壊につながる。

一般的に、住宅などの購入資金として銀行から融資を受けるときには頭金が必要です。その頭金は、通常、購入代金の30%前後ではないでしょうか。購入代金の30%は3倍程度のレバレッジです。株式投資における信用取引もレバレッジは3倍程度です。このあたりが、レバレッジの適正倍率ではないでしょうか。

ノーベル賞を受賞した経済学者が参加したファンドもレバレッジのかけすぎで破綻しています。FX取引の倍率を云々と論争しているようですが、あまり欲をかくと墓穴に落ちてしまうような・・・。

<牛に引かれて善光寺参りの故事は>
「強欲なばあさんが布を干していたら牛の角に引っかかった。逃げていくので、その牛を追っかけて善光寺平までやってきた。やっと追いついて布を取り返そうとしたところが、その牛は仏様の化身だった。仏様に強欲の愚かさを説かれて改心した婆様は、以後信心して穏やかに長生きした。」

夢を抱いて

その男は、今まで多くの失敗を重ねてきた。持って生まれた性格なのだろうか、みんなと一緒に行動することが嫌いだった。いつも誰もやらないことをやろうと考えていた。大きな野望を持っていた。シャイな性格でもあった。相場格言に「人の裏に道あり花の山」とあるように、ある意味ではアウトローだったのかもしれない。

昔、運転免許を取りに行ったとき、性格テストなるものを受けた。これは運転における適正があるかなどをテストするものであろうが、その結果をを見て、ひと通り問題はないように思えた。しかし、ひとつだけ気になるところがあった。それは「協調性」のポイントが低かった。

男は、自分でもうすうす感じていたが、みんなと一緒になって騒いだり、同じ行動を取ることが苦手であることは事実だった。特にプライドが高いということもないが、多くの人といると疲れてしまう。気配りのしすぎなのだろうか・・・。今流行ので言葉でいえば忖度のしすぎだったようだ。これも個性と言えばそれまでだが。

そのような性格の男が、これからの自分の人生に大いに野望と夢を抱いて社会に出て行った。若いころは、効率が一番と考え、すべてに急いでいたように思う。昼夜を問わず、がむしゃらに働いた。大いに遊びもした。無理をして倒れたこともあった。思い立ったことは、すぐに行動に移した。ありとあらゆる仕事をした。多くの社員を抱え会社を経営したこともあった。

今考えれば、若気の至りかだいぶ無茶をした。多くの周りの人に心配や迷惑をかけたことも数多くあった。大きな失敗も経験した。後悔したこともたびたびあった。そして何となく自分に経営能力がないことも気づいた。これらは多くの失敗や挫折から学び取ったものである。これも適正テストにあったように、協調性の欠如からくるものだろうか・・・。

若いころに、自分の人生を最大限に謳歌できることは何かと考えた。そして、一番儲かる仕事は何かとも考えた。そのような考えの中、性格テストが示すように、組織の中ではやっていけないということも自覚していた。

生活もあり、組織に入れないのであれば、自分で何か起業して生きていかなければと考えた。毎日、書店や図書館に行って模索の日々を過ごしていた。そうこうしているうちに考えついたのが、一般のビジネスではなく、物を介さないビジネスだった。物を介さないビジネス、それは保険、金融、投資の三つがあり、これらは、お金を出してお金で戻ってくるビジネスであり、効率が一番良いと考えた。

保険業務は無理でした。一般の外務員となれば可能でしょうが、これでは組織の一員になることになる。保険は、その胴元(元受)にならなければ、本来の利益は得られない。つまり、保険会社を経営するということであるが、経営には向いていないということはわかっているし、ましてや現在の法律では、とうてい無理ということになる。

では、金融はどうかということになる。金融業は、昔から借りる時は神様、返すときには鬼と言われるように、ある意味では多くの敵を作ってしまう可能性もある。逆恨みほど怖いものはない。しかしながら、若さというものは怖いもの知らずで、金融業にチャレンジした。金融業ではそれなりの収益を上げたものの、その後の貸金業規制法により廃業を余儀なくされた。法には勝てない。

さて、残るは投資ということになる。投資は、まさしくお金からお金を産み、資金効率は一番良いのではと考えた。投資においては、他人を介することなく運用が可能であり、一人でも大きな資金を運用することができる。これぞ自分に向いている最適なビジネスであると考え、これからの自分の人生のすべてを投資の世界に託する一大決心をした。

しかし、当時の投資の世界は、一般社会からはあまり良いイメージを持たれていないことは知っていた。その理由として、相場に失敗して新聞沙汰などになることも多く、日本においては、一般に認知されていないことは十分理解していた。結婚しようとしたとき、相場師には娘をやれないとも言われた。

しかし、男たるもの一度決心したことは後には引けない。どのようなビジネスであっても生きる道はあると考えるも、何事も簡単に成功することはできないことも十分理解していた。その道のりには多くの苦悩や困難が付きまとうことも覚悟していた。特に投資の世界では、成功者は少なく特殊な世界ではある。しかし、そのことがアウトローの男の心に火をつけた。

そして、強い意志を持って投資の世界に踏み出した。自分では、それなりに投資知識は理解したと自覚していた。当初は株価の変動に一喜一憂し、売り買いを楽しんでいた。しかし、その楽しさも長くは続かなかった。

投資の世界で生活しようと考えていたわけであるから、楽しんでばかりはいられないと、一挙に投資資金を増やした。しかし、「好事魔多し」と言われるように、予想もしないような暴落に見舞われてしまった。まさに青天の霹靂である。

その後、落ち込んだ気持ちを奮い立たせ、初心に戻って投資の勉学に励んだ。あらゆる書物を読み漁り再起の機会を伺った。これも性格からくるものだろうか、その勉強の期間中は、他の事は一切せずに集中した。他の事をしないというより、他の事は手に付かなかったと言ったほうが正しいであろう。お金も底をついてきた。

「投資には必勝法は必ずある」と考え、現在、必勝法なるものが確立していないのは、まだ発見されていないだけだと思い込んでいた。この一点に集中し、退路を断ってとにかく没頭した。この期間、周りの多くの人たちに心配や迷惑をかけてしまったようだ。後になって回想すると、この期間は自分が自分ではなく、まるで夢遊病者のように、あるときは修羅のようであったと記憶している。周りからは、おかしなやつ、怪しいやつなどと思われていたに違いない。

そして、リベンジの時期がきた。資金を工面し意気揚々として市場に参入していった。以前の失敗を教訓として、あらゆる角度からの勉強や研究を行った。絶対の自信はあった。しかし、世の中は甘くはなかった。投資の世界には魔物が住んでいた。再び返り討ちにあってしまった。この時ばかりは自分の選択した人生を恨んだ。自暴自棄になり、極度のストレス状態であった。放心状態で自分の人生もこれで終わったと感じた。

ストレスとは怖いもので、何らかの形で身体に出てくる。その男は一時、吐き気や頭痛、耳鳴りがして、ついには耳が聞こえなくなり、目も見えなくなってしまった。病院に行ったら、やはり原因はストレスであった。その後回復したが、若かったから耐えられたのだろう。

しかし今考えると、これらの体験から一般社会では学べない、経験できない、人間の本質を垣間見たような気がした。「犠牲を払わずして成し得るものはない。物事を成し得るには必ずその対価が必要である。リスクなくしてリターンなし」も学んだ。

そして、いかに人間は精神面で支えられているかを体験することになった。人間の愚かさ、弱さ、苦しみ、喜び、悲しみ、そして人生とは何たるかを学んだような気がした。人間の精神的な面がいかに人生を大きく左右するかを学んだ。

その後、長い時間が過ぎた。そして、男は忘れ去られていた・・・・。

初心貫徹、男は再び投資の世界に舞い戻ってきた。熱き魂は失われていなかった。しかも、最新鋭の強力な武器を携えて・・・。

男は、多くの苦悩を味わい、多くの犠牲を払いながらも這い上がってきた。夢をあきらめてはいなかった。相場の世界は人生の縮図のように思われた。相場の世界からは、一般の社会からは学べないような貴重な体験をした。人間的にひとまわり大きくなったのだろうか。

しかし、このドラマはこれで終わったわけではない。男の投資人生は今でも続いている。周囲からは冷たい視線を浴びながらも「投資には必勝法は必ずある」と今でも信じ、ひたすら夢に向かって苦悩し邁進している。

これらの体験を一言で語るとしたら、夢をあきらめなければ、苦労は必ず報われる(かも知れない)ということである。男は「人生に無駄はない」と信じ、これからも険しい修羅の道を歩んで行くものと思われます。