エピソード

《 エピソード Ⅰ》

大舞台で、9回の裏、ツーアウト満塁。その時、マウンドのピッチャーは・・・。そのような状況になっても野手は駆け寄ってこない。ベンチの監督からもピッチャー交代のサインは出ていない。

この時、ピッチャーはマウンドで何を思うか。試合の行方はすべてピッチャーにかかっているようだ。とにかく、ピッチャーは次の球を投げるしかない。その時のピッチャーの心境は二つであろう。ガチガチに緊張して投げるか、開き直って投げるか、いずれかであろう。このような場面は、人生においても大なり小なりあり得ることだ。

次の投球で明暗が分かれるだろう。もし次の投球で打たれて負けても仕方がないだろう。負ければ悔しい。悔し涙も出る。夏の高校野球を見ていればよく分かる。

その後、悔しい思いをした投手はいかがだろうか。おそらく、そのことは一生忘れないだろう。その投手がその後、同様な状況に追い込まれたときは何を思うだろか。たぶん「あの時の悔しさだけはもう味わいたくない」と思い、その困難に対し、必死に何らかの対応策を考えるに違いない。

この「困難に対し何らかの対応策を考える」とは、人は、もがき苦しみ、悩んで困難に立ち向かうことによって、あらゆることを体験し積み上げていくことになるのです。困難や失敗は教訓として後世に残るのです。

子供は転びながら、ケガをしながら、泣きながら成長していくものです。この困難や失敗の体験こそが人間の成長に他ならないのです。困難は前進している証しであり、困難は人を強くするものです。

多くの体験こそが財産であり、体験に優るものなしです。たくさん傷ついたことが、最後に自分の最大の強みになることを忘れないでほしい。
《 エピソード Ⅱ》

ある女性が、お盆にお客さんが来るので、世間体が悪いからと暑いさなか、しぶしぶ草取りを始めた。辛かったのだろうか、終わった後に「腕が痛い、腰が痛い」とこぼしていた。挙句の果てにマッサージに出かけた。楽しくない仕事は疲れるらしい。

ある日、ある女性は美術展にひとりで銀座まで出かけた。帰って女性いわく「今日は楽しく美術展を見てきたわ、だいぶ歩いたけど楽しかったのでぜんぜん疲れなかったわ」と。自分の好きなことではまったく疲れないらしい。

たしかに、自分の好きなことをしているときは楽しいし疲れることなどない。私みたいに美術にまったく興味のない人が美術展まわりしたらいかがだろうか。

誰しも好き嫌いはあるだろう。しかし、人生、嫌なことをしなければならないことが多い。辛いことも多い。そのような時、どのように対処すべきか多くの人たちは悩む。

多くの人たちは気づいていないだろうが、自分のために頑張るのと人のために頑張るのでは、どちらが頑張れるだろうか。多くの人たちは、自分のための方が頑張れると答えるはずです。はたしてそうだろうか。

よく考えてみてください。男は自分のためというより家族のために頑張っているのではないだろうか。たとえ自分は辛くても家族があるから頑張っているのです。母親は子供のためには一心に愛情を注いでいるではないですか。子供のためにと頑張っているのでしょう。

人は自分より人のための方が頑張れるのです。このような考えより、嫌いなことでも人のためになる、人が喜んでくれると思えば、頑張れるし、その辛さも半減するというものです。

辛い草取りも、人が来たときに「いつもきれいにしていて気持ちがいいわね」と喜んでもらえれば、草を取った人も嬉しいに違いありません。このように辛い仕事も自分のためだけではなく、多くの人たちに喜んでもらえると考えれば、辛いことも乗り越えられるのではないだろうか。要は、心の置き所なのだろう。
《 エピソード Ⅲ》

オリンピックなどの国際競技で、日本の選手を見ていると、かなり緊張した様子で競技に挑んでいるようだ。一方、外国の選手を見ていると、なんとリラックスしてゲームを楽しんでいるように思われる。そのように感じるのは私だけだろうか。

日本選手の緊張と外国選手のリラックス。これだけを比べたときに、どちらの選手が記録を生み出せるだろうか。

人は緊張すると筋肉が硬くなり、本来の力が発揮できないように思う。反対に、リラックスすれば筋肉も柔らかくなり、本来の力も発揮できよう。よって、外国選手のようにリラックスして試合に挑めば、本番で実力以上の力を発揮することも可能となるだろう。

選手たちは皆、最善の努力をして試合に挑んでいる。しかし、成果を上げるには、リラックスして筋肉の緊張を解きほぐし、試合を楽しむことによって大きな成果を上げることができるものです。

リラックスすることにより、その能力は開花するものです。緊張は本来の能力を封じ込めてしまうものです。結果に依存しすぎるから緊張してしまうのです。結果に依存せず、そのプロセスを楽しむぐらいの気持ちが必要ではないだろうか。

余談ではあるが、今回のジャカルタのアジア大会競泳では、すばらしい成績を収めました。特に池江璃花子は8種目に出場し、バタフライや自由形、リレーなどで計6個の金メダルを獲得しました。

私は、池江璃花子が試合直前にあくびをしていたのを見ました。全然緊張がなかったようです。

株価チャートの錯覚

一般的に、短期的な株式トレーダーは、パソコンなどで株価チャートを見ながら売買の判断をすることが多いと思います。ある投資家はテクニカル指数を駆使しながら、また、ある投資家は、株価チャートを眺めながら、経験に基づく主観的な判断で売買をされているのではないでしょうか。

そこで、株価チャートを見ながら売買する場合の注意点を述べてみたいと思います。
パソコンで株価チャートを見ると、すべての銘柄が株価チャート表示の枠内に表示されます。すでに、ここに問題があります。

株価チャートの表示は、すべて、ある一定期間の高値を上限とし、安値を下限として表示されます。これでは視覚的に、すべて同じような変動幅の株価チャートになってしまいます。このような同じような変動幅の株価チャートを視覚的に捉えた場合、どのような問題を引き起こすのでしょうか。

株価100円から200円に上昇した銘柄も、100円から500円に上昇した銘柄も見た目では同じような変動幅の株価チャートと錯覚してしまい、株価を正しく捉えることはできないのです。これらも株価チャートを見ながらでの売買が、うまくいかない要因のひとつではないでしょうか。

とは言っても、現行の株価チャート表示は、すべてこれらの方式での株価チャート表示です。そのため、これらの点について、十分考慮に入れて判断する必要があります。

また、年配の投資家で目先売買を得意する投資家に見られることですが「小すくいで10円幅を取るんだよ」などと話をしているのを聞くことがあります。つまり、10円の利益が取れたらすぐに決済してしまうということです。

ひと口に10円幅と言っても、100円の株価の10円か、1000円の株価の10円かによって、その利益率が異なってくるはずです。100円の10円であれば10%ですし、1000円の10円であれば1%にしかなりません。

私は、利益幅を「円」で言うのにはあまり同意できません。投資の原点は、投資金に対する利回りです。利回りは「率」で表現します。これらと同じようなことが、株価チャートを見たときに錯覚を起こしやすくなります。

たとえば、100円の株価から200円に上昇したとします。その後、200円から300円に上昇したとすると、その上昇幅は、どちらも100円です。視覚的に見ても同じです。しかし、利回り的に見た場合はいかがでしょうか。

100円から200円までの上昇率は100%です。しかし、200円から300円に上昇したときの上昇率は50%です。つまり、上昇幅が同じであっても仕掛けの時点から判断すれば、その利回りは大きく変わってくるということです。

株価チャートを見たときに、株価は天井近辺になると大きく上昇しているように見えます。しかし、実際には見た目より上昇の「率」は小さいのです。これもやはり、錯覚しやすい点です。実際には、底値近辺からの上昇の方が、その「率」は大きいものです。つまり、株価が上がれば上がるほど、その上昇率は小さくなるということです。

100円から200円で上昇率100%、もし、200円からの上昇率100%とすれば400円となります。見た目では、100円から200円より、200円から400円の方が、上昇がはるかに大きいと感じるでしょう。これらは、実際の株価チャートで「率」での比較をしてみるとよく分かります。

このように、株価チャートを見るとき、最初に視覚的な要因が取り込まれます。そして、その視覚的要因をもとに売買の判定を下すことになり、これらにより、売買において多くのミスを犯す可能性が出てきます。。

もし、株価チャートを視覚的に判断したいというのであれば「対数チャート」をお奨めします。対数チャートは、同じ銘柄を従来の株価チャートと比較した時には「これが同じ銘柄なのか」と驚くと思います。

対数チャートとは、チャートの縦軸(株価)の表示間隔を、値幅ではなく、変動率(対数)で表示したチャートです。簡単にいえば、株価の上昇率と下落率を同じ間隔で見えるようにしたチャートです。

株価チャートを見ながらの売買には、上記のようないくつかの落とし穴があります。これらに気づかず、主観的な売買を続けていても結果は「押して知るべし」です。

株式の分析は、必ず「数値」および「率」により判断すべきです。