信用バブル

アメリカの株価は2008年のリーマンショック以降、金融緩和もあって回復基調を続けいますが、各方面から「もうバブルではないのか」「いやまだまだだ」などの声が聞こえてきます。相場格言に「もうはまだなり、まだはもうなり」とありますが、どうなりますか・・・。いずれにしても、常に危機管理対策は講じておかなければなりません。

さて、金融危機の要因である「信用バブル」とはどのようなものなのか。それは、「お金を借りて、それを元手にお金儲けをしよう」という文化が行き過ぎた結果と考えればよいでしょう。

日本のバブル崩壊も金融バブルから不動産バブルとなり崩壊しています。不動産が上昇している間は借金して購入しても利益になります。当時の日本は一億総不動産屋といわれた時代でした。

要するに「レバレッジ」の大衆化です。レバレッジの大衆化は、まずリーマンのような「投資銀行」というビジネスが先鞭をつけ、続いて「ヘッジ・ファンド」の大衆化、そして「投資目的の不動産購入」の大衆化、さらにFX(為替証拠金取引)のような「レバレッジをかけた投資」の大衆化ではなかっただろうか。

このように、本来かなりリスクのある投資を、普通の人が普通に誰でもやれるようになったことが「信用バブル」と定義付けられると思います。翻れば、これは「普通の人の危険なビジネスに金融機関が加担してお金を貸すようになった」ということでもあります。

このような「信用バブル」の文化の行き過ぎが行くところまで行った結果が、リーマン・ブラザースのような投資銀行が、この大衆化の過程でお金をどんどん出していった結果です。

サブ・プライムローンは「普通の人が不動産投資をするような時代となり、貧しい人々でも高金利で家が買えるようにするのが良い」という誤解された「文化」の生み出した商品のひとつに過ぎません。

ただ、これは金融だけの問題ではありません。世界中であらゆる方面にゆがみやひずみが噴出しています。産業資本主義と金融資本主義の間のひずみ、グローバルに活動する企業と政府の間のひずみ、先進国と新興国や資源国のひずみ。これらの問題が引き金となって引き起こされます。今後、世界はこれらのさまざまな問題に対処しなくてはならなくなります。

このようにグローバル化された米国流の行き過ぎた金融資本主義は、本来の人間社会の秩序を乱し、そして限界を示し、もはや続かないと考えたトランプ大統領は「アメリカ・ファースト」を掲げ、国内回帰を宣言しています。

我々投資家は、リスクを承知で投資活動を行っています。投資も撤退も自由です。しかし、企業における人材は、投資家の立場とは異なり、企業にすべての生活がかかっています。祭りの神輿も担ぎ手がなければ動くこともできません。

人口や企業が生み出す富など実物経済に限りがある以上、金融ビジネスにも限界があります。株式投資において、配当以上の収益にはリスクが存在することを絶対に忘れてはいけません。

我々投資家も秩序ある投資スタンスで活動していきたいものです。