投資での痛手

投資で失敗するともう投資関連のニュースも聞きたくない。特に最近の仮想通貨の混乱ではかなりの痛手を負った投資家も多かったのではないでしょうか。「仕事も手につかないし、もう立ち上がる元気もないよ。もうおしまいだー・・・」と嘆いていた友人がいる。

市場が大きく変動すると投資家は大なり小なり同じような状況ではなかったのではないでしょうか。そして、市場から去っていった投資家も少なくなかったかと思います。市場から退場したものの、残ったのは大きく評価損となった塩漬け銘柄のみだったのではないだろうか。

「相場はもうこりごりだ、相場は今後二度とやらない、大失敗だった」と退場していく。退場したら証券会社や投資アドバイザーからのメールマガジンも必要ない。株式投資に関するすべてをシャットアウトしてしまう。その気持ちはよく分かります。私自身も過去にこのような状況は何度も味わってきたので心情は理解できます。

長く相場を見てきた私としては、このようなことは周期的に起こるものであり、時代が変わっても市場への入場、退場など何も変わっていないと感じています。そう言う意味では、歴史は繰り返されるということなのだろうか。

面白いことに「株は今後二度とやらない」と断言した投資家ほど、相場が上昇してくるとムラムラして「もう一回だけチャレンジしてみようか」となる。相場が上昇したところで買いに入るため、また高値掴みとなる。これも昔と変わらない。

はたして株式投資での失敗は、本当の意味での失敗なのだろうか。投資の世界では常に失敗は付きまとうし、長年投資活動をしてきても損からは逃れられない。そこで、私なりに「投資での失敗」についての考えてみた。

以前にも解説しましたが、株式投資における初心者の売買は、赤ん坊がはいはい歩きから立って歩くまでと同じではないかと考えます。赤ん坊は立ち上がって歩けるようになるまで、何度もつまづき転んで柱に頭をぶつけて大泣きしながらそれでも懸命に立ち上がろうとします。

赤ん坊がよろめいたり、つまづいたりするからといって、誰もその子をしかりつけたりはしないでしょう。その動作一つ一つが歩くことを覚えるための必要な正常な過程なのです。

もし、立ち上がって歩けるようなったことを「成功」と呼ぶならば、歩き始めの段階で転んだりすることを「失敗」と呼ぶでしょうか。転んだり、つまずいたりすることは「成功」するためのプロセスに過ぎないのではないでしょうか。

何度もつまづき転んで痛い思いしたことは、潜在意識に格納されて、大人になっても「転ぶと痛い」という意識が無意識に働き、注意して歩くようになるのです。大人になっても転ぶときはあるでしょう。しかし、大怪我をしないように手でサポートするはずです。

このようなことから、投資での失敗は投資で成功するための訓練課程であり、ある意味では成長するために必要不可欠なプロセスと捉えることはできないでしょうか。何事も一朝一夕では成し遂げられないものですから・・・。

相場格言に「もうはまだなり、まだはもうなり」という格言があります。これらとはちょっと意味合いは違うかもしれませんが「もうダメだは、まだまだである」と考えるべきです。「もうダメだ」という冷静な判断ができているうちは、まだ余裕がある証拠です。本当にダメな時は、思考能力が失われ放心状態になるはずですから・・・。

もし、被害を被った投資家であっても再度立ち上がる勇気、気力があれば今までの失敗の原因を調査したのちに果敢にチャレンジしていただきたい。長い期間投資活動を止めて、再活動をする時は、すべてゼロからのスタートとなります。ゼロからの再スタートはかなりのエネルギーを必要とします。

逃げては何も残りません。逃げてもまた元のところに戻るだけです。今逃げたら、明日はもっと大きな勇気が必要となります。何事にも逃げずに困難に立ち向かうべきです。相場は続けるものです。