保険

我が家に雷が落ちたようだ。電気のブレーカーは切っていたが、いくつかの電気製品が壊れてしまった。以前はパソコンのルーターが雷でやられてしまったことがある。プリント基板などの精密製品は雷には弱いらしい。

このような雷を応用した兵器に電磁パルス兵器がある。電磁パルスとは高高度核爆発や雷などによって発生するパルス状の電磁気のことである。電磁パルス兵器は人体には影響を及ぼさず、強烈な磁場を発生させ、地上にある電子機器の機能を瞬時に破壊します。

電磁パルス兵器は一瞬で全てのインフラを麻痺させることができ、今や核と並び最も恐ろしい兵器になるのではないかとも言われています。電子制御である鉄道、航空、船舶などは軒並みストップする。東日本大震災の時の首都圏のように、交通機関のダウンで大量の帰宅難民が発生する。

この攻撃が厄介なのは、復旧までに多大な時間を要することです。きわめて広範囲に被害が及ぶため復旧要員や修理装備・備品が圧倒的に不足し、被害の長期化は避けられないことにある。

そのような中、我々にできることは、雷が発生したらひとまず電気のブレーカーを切っておくぐらいでしょうか。ちなみにインターネットの光ケーブル回線は銅線ではないので雷は落ちないそうです。しかし、雷が電線や電話回線(ADSL使用時)に落ちるとパソコンの電源にも伝わり壊れてしまうので注意が必要です。

私の友人に雷が落ちて電気製品が壊れてしまった話をすると、それは保険でおりるという。早速、火災保険の適用条件を見てみると適用に合致した。そのため保険会社に連絡して手続きをとった。OKらしい。

保険は、ふだんは無駄な支払いだなあと思いつつも万が一のときに活用できる。まあ、保険とはそのようなものなのですが・・・。万が一のときのために保険をかける。つまり、リスクに対するヘッジと同じではないだろうか。

翻って、投資の世界はリスクだらけの世界です。一般社会ではリスクに対しては保険をかけます。しかし、投資の世界では多大なリスクが発生するも保険をかけている投資家は少ない。

では、投資に対する保険とは?。たとえば、ある銘柄を3000株買ったとします。それに対して別の銘柄を1000株同時に空売りする。これも立派な保険ではないだろうか。両建て売買やつなぎ売買もリスクヘッジを絡めた保険付き売買と言えます。

そう言う私も先物の片張りでの売買です。ではリスク管理は?と聞かれますが、私のリスク管理は損切りです。投資の最大のリスク管理は損切りにあります。

損切りは損失を限定するための最大の防衛対策です。そこで私は考えました。損失限定の防衛的対策に対して、もっと攻撃的で積極的な対策はないものかと。そこで従来の先物の片張りに対して平行してデイトレードでヘッジしてはどうかと・・・。

たとえば片張りの先物を持続しつつ、先物が買いであった場合、平行してデイトレードは空売りだけにする。先物が売りであった場合は、デイトレードは買いだけにする。このように反対売買をすることによってヘッジ機能が働き、より安全な投資ができるのではないかと考えました。

そこで、一分足のデイトレードシステムを作りました。ロジックは従来の先物売買の考え方とまったく同じです。ただスパンが異なるだけです。もし、従来の先物売買システムが機能するのであれば、一分足のデイトレードシステムも機能するのではないかと考えています。その結果については、機会がありましたら報告したいと
思います。

世の中、何があるか分かりません。そのためにも保険(ヘッジ)の考え方を取り入れて、継続した運用が可能となるシステム構築が望まれるところです。

リラックス(平常心)

株式市場は経済をはじめ、あらゆる現象を織り込みながら変動している。投資は先読みであるとの考えではあるが、世界中の現象をすべて先取りして分析するのは不可能である。

企業業績などは分析して予測、判断することは可能であろうが、突発的な事件や事故を予測することはできない。しかし、投資の世界では、このような突発的なアクシデントにも対処しなければならない。

では、このような突発的なアクシデントに対処するにはいかにするべきか・・・。それは当欄で何度も述べていますので今更ここで解説する必要もないと思います。あとは決断あるのみでしょう。

私の語録に『一切は心より転ず。心がすべてを創造する。万事、心が決断してから始まる』とある。つまり、決断は投資家自身の心において決断し、そしてマウスをクリックして仕掛けなり、決済という行動をするのであろう。

最初には心が決断し、そして実行をするという一連の流れができる。しかし、心が揺れていれば決断もできないし、たとえ決断したとしても、それは正しい決断とはならないであろう。しかし、投資において投資家がゆるぎない平常心を保つのは非常に難しいものです。

さて、最近の当欄は精神論が多くなっているようで、私自身も気にはしています。そこで、もっと技術的な解説をしたいと思っているのですが、いくら技術が向上して売り買いの判断が容易になったとしても、自動売買でもない限り、投資の最終的決断は投資家自身が行うものです。その実行時に「システムは買いとなっているが、自分の体験からは売りではないか」などと迷うこともあります。

そこに迷いが生じ決断を下せないことも多いのではないだろうか。迷いは投資家について回るものである。迷っていること自体、気持ちは平常心ではないことになる。平常心でなければ正しい判断は下せないというパラドックスに陥ってしまう。

これらの問題点を解決する方法はないものだろうか。結論的には正しい解決法などないと思われます。そこで、この問題を私なりに考えてみた。その原因は「情報過多」にあるような気がする。

情報過多になると迷いが生ずる。情報が多いと選択肢が広がり、どれにすべきか悩む。特に投資では投資家が独りで考え判断するため、選択肢が多いと決断に迷うことが多くなる。

またまた恐縮ですが、私の語録に『独りで考え悩むほど、正しい解決方法から遠ざかり、そして曲がる。考えすぎると、人間は臆病になる』とある。これは私の投資体験から感じたものであり、今でも変わっていない。

つまり、独りで考えすぎると、その答えは正しく答えとならないと言う意味です。追い込まれた状況で答えを出してもそれは間違った答えである。投資活動では追い込まれた状態で結論を出さなければならないことが頻繁にある。よって結果的に負けが続くことになる。

これらの状況を逆説的に言えば、正しい答えはリラックス(平常心)した状態からしか生まれないとなります。では投資でリラックスした状態とはどのような状態なのだろうか。それは儲かっているときです。つまり、儲かっているときは不思議とどんどん儲かります。皆さんもこのような体験はあると思います。

このようなことから、投資の情報は必要最低限にして、相場に入れ込まず客観的にリラックスした状況から相場を見るという姿勢が望ましいのではないでしょうか。

ふしぎな国、それは・・・

我々は資本主義の社会にいます。資本という意味は、金融資本=お金や株式など。物的資本=土地や設備など。ヒューマンキャピタル=人的資本などがありますが、一般に資本は「お金」を意味するところが多く、お金というものは、お金のないところには集まらず、不思議とお金のあるところに集まる性質があります。理不尽なようですが、これが現実です。

よって、富める者はますます豊かになり、貧する者はますます貧しくなるという現象が起こります。以前の日本は一億総中流といわれていた時代がありましたが、現在は、つまるところ、やはり結果的にはお金が一極集中し、ひいては「富と貧」という「二極化」現象となっているのではないでしょうか。

ロバート・ライシュの著書『暴走する資本主義』にあるように、かくあるべき本来の姿から大きく乖離したものは、いずれ是正されるものです。『欲望むき出しで野放しの資本主義は、自らを食い尽くす運命にある』と。私の語録にも『自由とは素晴らしい。しかし、規律と責任のない自由は暴走し、崩壊を辿る』とあります。

この「二極化」は資本主義の末路であると言わざるを得ません。アメリカでも1%の大金持ちとそうでない人々との格差が広がっているという報道があります。そのためデモも起きているようです。「二極化」がさらに進むと必ず暴動が起こります。これは歴史が証明しています。

では、社会的共有・管理によって平等な社会を実現しようとする思想・運動の社会主義はいかがなものだろうか。資本主義の矛盾を批判し、これを克服して、新たな社会を建設しようとする思想や運動は人間社会を幸せにできるのだろうか。

これもまた、以前のソ連、現在の中国などを見ればよく分かります。であるならば、どのような世界観や主義主張が我々に幸せをもたらすのだろうか。今のところ私にも答えが見つからない。

ただ、私の考えるところの幸福感は、これらの資本主義や共産主義などの主義主張ではなく、別なところにあるのではないかと考えています。たとえば、高度な倫理観や規律の遵守、節度や高い道徳感、精神性、勤勉さ、社会への還元などが個人個人にあればどのような体制であっても人々は幸福になれるのではないだろうか。つまり、要は民度、素養の高さにあるのです。

世界中を見渡してこのような国があるのだろうか。もしあるとすれば、それは我々の国、日本であろう。世界中で、日本は世界で一番の長寿国であり、また最も豊かで、そして、とても安全な国である。はたしてそのような国が世界中を見渡してどこにあるのだろうか。最近は豊かであってもテロが横行し、安心していられない。

悲しいかな、日本人はそれを理解していないところがある。なぜだろうか。私が考えるに、それはさかのぼって第二次大戦後の自虐的歴史観にあるのではないかと考えます。日本人はもう少し自信を持つべきです。日本にはそれだけの歴史的背景がある国なのです。

最近、日本に海外からの観光客が大勢押し寄せていてます。日本再発見です。観光客からは伝統文化と近代文化が重なりあう「ふしぎな国」として、とても魅力のある国として見られているようです。

我々はとても魅力ある国に住んでいるのです。なぜ魅力的なのだろうか。それは、日本は世界で一番長い歴史を持つ国だからです。現在は西暦2017年ですが、日本には「皇紀」という暦があるのです。

「皇紀」とは、日本書紀の紀年に基づき、神武天皇即位の年を元年と定めた暦です。現在の西暦2017年を皇紀で表すと「皇紀2677年」となります。日本はそれだけ長い歴史を持つ国なのです。皇紀元年には、今のイギリスもフランスもドイツも、もちろんアメリカという国もなかったのです。

単一民族で世界一長い歴史を持つ日本では、人々が幸せに暮らすためにはどうすれば良いか、長い時間をかけて修練してきました。そして、現在の日本があります。災害国である日本では、先の震災でその対応に世界から賞賛されました。日本人は非常に民度の高い素養のある人種であることが証明されたわけです。

よって、前述しましたように、高度な倫理観や規律の遵守、節度や高い道徳感、精神性がある日本人が、これからの世界を自信を持ってリードしていくべきであると考えますが、いかがでしょうか。

歓喜と絶望

相場の世界は歓喜と絶望の世界と言われています。投資家の皆さんも大なり小なり味わったのではないでしょうか。これは相場の世界だけではなく、一般社会にも通用することです。

大学受験に合格した、会社の採用通知がきた、結婚が決まった、子供が生まれたなど皆が歓喜します。生活している上で歓喜する場面は少ないものの少ないからこそ、その喜びはひとしおです。

反面、絶望や苦悩はいくらでもあります。投資体験者には理解いただけると思いますが、歓喜より絶望の方が多いことに・・・。

大学に入学したものの留年してしまった。会社で肩たたきにあった。結婚が破綻した。子供がグレでしまったなど歓喜と絶望は表裏一体の関係にもあるのです。それが人生というものかもしれません。

歓喜とは努力した結果として得られるものです。努力しても何も得られないこともありますが、努力しなければ何も得られません。そのためにも努力するものであり、また教養を身につけ、常に精進に努めることです。

投資活動でも然り。投資でたまたま偶然にトレンドに乗った場合など、努力なしで儲かることがあります。努力なしの歓喜は脆く、そのしっぺ返しはさらに大きなものとなります。

努力なしの利益は、その利益以上の損失を招く恐れがあります。なぜなら、努力なしの利益は投資家の気持ちをバブルにするからです。偶然にトレンドに乗ったことはブームであり、それはバブルであるからです。私の格言「ブームはバブル。信念なき者は付和雷同する。」は、ここからきているのです。

さて、歓喜については努力の結果であり、努力なしの歓喜はバブルであることが分かった。では相反する絶望はいかがだろうか。

絶望は努力してもやってくる。大学受験に一生懸命頑張ったが落ちてしまった。就職試験に落ちてしまったも同様ではないだろうか。このような状況になると大いに落ち込み、お先真っ暗の絶望感が漂う。

相場の世界では常に絶望感が蔓延している。当然ながら私もイヤというほど味わっている。ではこの絶望感はどのように克服すべきであろうか。この絶望感を克服しなければ次のステップには進めない。精神に障害を及ぼす可能性だってある。

ある友人は長期出張が多く、家にいる時間が少ない。さぞかし奥さんは不満であるだろうし家庭もギクシャクしているのではと想像した。しかし、実際のところ家庭円満である。その秘訣はなんだろうか。

彼の話によると、たとえば、次の休日(3ヶ月先)には必ず一緒に旅行に行こうと約束する。そして、その休日には何があっても必ず旅行に一緒に行くことにしているという。その理由を考えてみた。

奥さんは、ご主人のいない生活が長く寂しい思いをしているのは事実であろう。しかし、次の休日には必ず一緒に旅行に行けるという楽しみがある。好きな旅行を想像するだけでもワクワクする。現在は寂しいものの先には楽しみがあるため寂しさを紛らわせることができるのではないだろうか。

ここに絶望や苦悩の克服するヒントがあるような気がする。先に楽しみや希望があれば現在の辛さも克服できるのではないか。先に楽しみや希望がなければ絶望の一途を辿ることになる。

投資の世界でも辛い思いは多い。そこで、今度こそはと希望を抱いてチャレンジする。希望を抱いているから、今の苦しい思いを振り切って再度チャレンジする。今までの損を取り戻そうと再び市場に参入する。しかし、その思いは裏切られることになる。なぜだろうか。

そこに「努力」があっただろうか。努力なしに得るものはないことを肝に銘じてほしい。今までの失敗を克服するだけの努力をしただろうか。ただ損を取り戻したいという感情だけではないだろうか、冷静になって自分自身に問いかけていただきたい。

絶望の克服には、先に希望や夢を持つことであり、そして、そのために努力、精進に努めることにあるのではないでしょうか。

投資指針

株式投資とは「今後成長が期待できる企業に投資して、その見返りとして配当を受け取る」。この「配当の収益」が株式投資の原点であり、正しい姿であろう。

その投資の派生として、キャピタルゲインによる収益がある。我々投資家は、主にこのキャピタルゲインによる収益を求め投資活動を行っています。しかし、このキャピタルゲインによる収益は、株式投資の本道から外れるものではないでしょうか。

キャピタルゲインによる収益を求めることは、本来の投資の姿ではないわけであるから、そこに当然ながらリスクというものが発生することになります。そこで、我々投資家は、これらのリスクを承知で株式投資を行っているわけです。

配当による利回りはわずかなものです。しかし、投資の原点はここにあるのです。これらの原点である配当利回りを超えた収益を望むとき、そこにはリスクが発生し、望むリターンが大きければ大きいほど、そのリスクも大きくなるということです。

投資の世界では、当然ながらできるだけ大きなリターンを求め奔走するものです。しかし、望むリターンが大きすぎると、しだいに暴走し破綻を招くものとなります。

投資家は夢と期待を持って市場参入してきます。投資金を2倍にも3倍にもしようと・・・。しかし、投資で安定した収益を上げようとした場合、その収益は投資家が考えるような大きな収益にはならないことを理解していただきたい。

投資で暴走しないためには、裏づけされた理論やスキル、指針が必要となってきます。自分の信じられる何らかの指標なり技法なりをよりどころにすることによって、外部の情報や材料などの雑音を気にすることなく売買ができるのではないだろうか。

しかし、一つや二つの指標を信じて利用し続けるということは、なかなか大変なことです。利用途中では曲がってしまうこともあるでしょうし、このまま続けて行っても良いのだろうかと疑問に持つこともあると思います。

もし、投資の指針を何も持たず売買することと、何らかの指針のもとに売買することを比較した場合、実際の売買ではどのような状況となるでしょうか。

何の理論やスキルを持たずに売買すると、市場が急変しようものなら投資家は今後の展開に気を揉んで神経をすり減らすことになります。そして、結果として、確定的な結論や体験も積み上げられないことになります。

何らかの理論やスキル、指針のもとに売買すれば、外部の状況に振り回されることなく、指針に沿った客観的な売買が可能となり、精神的なプレッシャーも軽減されるものと思います。

これらのケースを売買収益から見た場合はどのようになるでしょう。「指針のもとに売買」をしたからと言って常に利益を確保できるわけではないでしょう。負けが続くこともあるでしょう。最終的にはマイナスとなってしまうかもしれません。

しかし、少なくとも「何の指針を持たずに売買する」より「何らかの指針のもとに売買」する方が、たとえ収支がマイナスとなっても、その差は雲泥の差となるはずです。「何も持たず売買する」では、破綻する可能性が大です。一方、「何らかの指針のもとに売買する」では、たとえマイナスとなっても生き残れるはずです。

投資家は常に不安の中で売買しています。何の指針も持たずでは相場に流されてしまいます。何らかのよりどころになる自分に合った投資指針を見つけ、それを信じて売買を続けることです。それ以外の方法はないような気もしますが、いかがでしょうか。

五感

人間には五感というものがある。つまり、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五つの感覚である。人間には勘の鋭い人がいる。そうでない人もいる。普通とは少し違う感覚の持ち主もいるだろう。

思考、感情、感覚、そして直感もいずれにしろ、この五感が元になっている。投資の世界にも相場感覚が鋭い人もいるし、売買に長けている人もいる。これらがそれぞれ個性として現れ人間を形成している。

ある著名な画家に入門した弟子が師匠に「絵が上手になるにはどうしたらよいでしょうか」と尋ねた。すると、師匠いわく「よい絵をたくさん見ることだよ」と言ったそうだ。これは視覚から多くの情報を入れて自分なりの感性を磨くことになるのだろう。

音楽なども同様であろう。多くの音楽を聴いて、自分の感性に合ったジャンルに進むことによって感性が研ぎ澄まされることになる。このようにすべて五感から入った情報を処理して、自分をより良い方向に方向付けするのです。

経験や体験もすべて五感を通して積み重ねていくものである。我々の投資の世界も同様であろう。五感を通して勉強し、チャートを眺めながら体験を積んでいく。思考や感情、感覚、直感は、このような体験を元に構築されていくものであり、その基本的ベースには五感がある。

直感とは、今まで積み重ねてきた体験や経験の中から瞬時に最適な手段を組み合わせて、ひらめきという形で表現されるものである。心理学的に、この直感は人間が生きていくための最善の選択であるとも言われています。体験や経験が多い人ほど、その直感は研ぎ澄まされるとも言われています。

私なりに直感(ひらめき)のメカニズムを考えてみました。これをジグソーパズルに例えてみました。ひとつひとつのピースは、ばらばらとなった体験や経験とします。これらのピースが多ければ多いほど組み合わせは大変になります。

ピースが少なければ簡単に組み合わせることができますが、その出来栄えはシンプルなものとなるでしょう。しかし、多くのピースでの組み合わせでは大変な作業となりますが、完成すれば見事な絵となるでしょう。

このように、人によって経験の多い少ないはありますが、ピースが組み合わさって完成したときが直感がひらめいた時と言えるのではないだろうか。

これを相場に当てはめてみましょう。投資家はそれぞれ相場展開を見て何らかの感覚を覚えるでしょう。ある人は「上昇しそうだ」、またある人は「横ばいから下降に向かうんじゃないか」など、人それぞにに見方は異なってきます。

現在の変動パターンと同様なときに儲かった人と損をした人では、自ずとその捉え方は異なってくるものです。これは、それぞれの投資家の体験から判断されるものです。もちろん、万年強気、万年弱気の投資家もいるでしょうが、その判断はすべては投資家の過去の体験からくるものです。

何事も一朝一夕では成し得ません。多くの体験を積んで感性を磨き、目的達成のため努力することです。

 

拙者の格言

「ひらめき・直感」とは、今まで長く積み重ねてきた経験や体験に基づいて生まれてくるものであり、人生をより良い方向に導く最良のアイデアである。大切にせよ。

問題解決の極意:その問題について、考えられるあらゆるすべての事項を頭にインプットする。そして、その問題を解決しようと考えず、その問題からいったん離れる。しばらく時間が経過すると必ず正しい解決策がひらめく。自然に正しい方向に進む。焦るな。

持ち株の放置

私の友人も先物取引をしている。売買では、ある程度の目安のところでナンピンを入れるという。もちろん損切りもするのだろうが、先物取引にはナンピンは馴染まないような気もするのですが・・・。

以前も解説しましたように、相場変動は海の波と同様に忘れたころに大波となって押し寄せてきます。その大波の時にはナンピンも通用しないのではないだろうか。

初心者の多くはナンピンを入れることにより、平均コストが下がり有利に働くと考えているようです。たしかにコストの面ではそうですが、資金配分の点から考えると非常に非効率的です。

最初の仕掛けで期待通りの展開となれば、利益となるものの投資金が少ないため、利益の金額も少なくなります。反対に仕掛け後に思惑通りの展開とならない場合は適度なポイントでナンピンを入れます。

ナンピンの問題点は、ナンピンを何回入れるか分からないところです。ナンピン回数をあらかじめ決めておいてもそれ以上となった場合はどのように対処するのでしょうか。困った困ったと指をくわえて見ているのでしょうか。それとも清水の舞台から飛び降りたつもりで損切りするのでしょうか。結局はそのまま放置となるのではないだろうか。

決してナンピンを否定するものではないのですが、ナンピンは負けが込んだところにさらに資金を投入するわけですから、プレッシャーもかかり、あまり効率的ではないような気がするのてすが、いかがでしょうか。

投資の世界は歓喜と絶望の世界と言われています。儲かれば喜び、損をすれば落ち込む。投資家であれば誰でも経験することです。私の体験からすると、このような歓喜と絶望のあまりない投資方法が長続きして収益に繋がるように思えます。ストレスの小さい投資手法が長続きする秘訣です。

つまり、利益もほどほどに、損失は小さめにという投資手法が長続きして最終的には利益をもたらすのではないだろうか。これらの点から見ると、ナンピンでは投資金は大きくなり、ナンピンする時点では必ず評価損となっています。これでは、いつの日か絶望の時がやってきます。

ナンピンが有利に働く相場もありますので、その利用法によっては効率的となる場合もあります。ただ、ナンピンをするのであれば、ナンピン回数や損切りポイントを明確にし、必ずそれを実行することです。

投資失敗の多くの原因は「持ち株の放置」にあります。損が大きくなり、いまさら切るに切れない状態にあることです。このような動きようにも動けない状態にならない投資手法であれば、どのような投資手法でもよいと思います。

よって、投資の究極は「自己ルールの厳守」にあるのではないでしょうか。

出来高の多い価格帯

株式市場は2万円を挟んだ往来相場となっている。ではなぜ2万円を挟んだ展開となっているのだろうか。私は以前、価格帯と出来高によるデータを集計したことがあります。

その集計結果によると、ある一定の価格帯に出来高が集中していた。それは区切りのよい価格、つまり500円とか1000円とか2000円などの区切りのよい価格に出来高が集まっていた。これは何を意味するかと言うと、投資家はある程度区切りのよい価格で仕掛けや決済をしていることが分かる。

たとえば、現在の株価が800円で持ち株していたとすると、心理的に「1000円になったら売ろう」などと思うものです。株式市場には株式投資を深く理解していない初心者も存在するわけですから、ある程度区切りのよい価格が目標値であったり仕掛けの目安だったりするわけです。これらは、はっきりとデータに示されています。

この意味からすると日経平均の2万円での攻防戦も納得がいく。2万円は出来高の多い価格帯であるから、2万円を抜いて上昇するには、これらの出来高を消化してからでないと上昇とはならない。そのため2万円を挟んだ長い往来相場となっている。

現在のようなボラティリティの小さい相場では成績も行ったり来たりとなる。やむを得ないことです。相場全体を観測せず、手持ち株の成績ばかり見ていると「この成績では納得いかない、投資手法を変えなければいけない」などと考える。

何度も申し上げていますが、青い鳥などどこにもいないのです。ひたすらコツコツしか成功する手立てはないような気がします。

話題は変わりますが面白い記事がありましたので紹介します。皆さんはすでにご存知ではあると思いますが・・・。

中国インターネットサービス大手・騰訊(テンセント)の人工知能(AI)対話プログラムがチャットで異例の共産党批判を展開し、同社が急きょサービスを停止する事態となったと香港紙・明報が伝えた。

このAIプログラムはチャットの活性化を目的に、同社のインスタントメッセンジャー「QQ」に登場。「共産党万歳」との書き込みに対してAIプログラムは「腐敗して無能な政治に万歳ができるのか」と反論してきた。

さらに「あなたにとって(習近平国家主席の唱える)中国の夢は何か」との問い掛けにAIプログラムは「米国への移住」と答えたとされる。共産党は「嫌い」とも断言した。

反響が大きくなり、テンセントはAIプログラムのサービスをすべて停止した。中国のネット上では「AIによる蜂起だ」「国家転覆を企てた」などの声が上がっているという。

これを見て私は思わず笑ってしまいました。現在、AIプログラムはいろいろな分野で活用されているようですが、AIプログラムは前回のアメリカの大統領選挙についても答えています。

アメリカの大統領選挙で当選するのはヒラリーかトランプかの問いに、AIプログラムは「トランプ」と答えたそうです。AIプログラムも人知の及ばないところまできているのかなあと驚きと恐怖も感じました。

投資業界も盛んにAIプログラムによる売買が盛んなようですが、AIプログラムには感情移入がないからうまく行くのかなあ・・・。だったら投資家も感情移入しないで売買すればうまく行くのかなあなど考えたりしています。

バランスの取れた投資活動

投資市場に参入してまず考えることは、どのような投資手法が良いのだろうと考えます。そして、あらゆる投資技術書を読み漁り、投資必勝法を探し求めます。しかし、その投資手法も最終的には好むと好まざるにかかわらず投資家自身の性格に合った手法となるのです。

それらの投資手法で売買を繰り返しますが、しばらくすると成績が落ちてきます。その後もいろいろな手法で売買を繰り返しますが成績は今ひとつ。投資家は常に試行錯誤を繰り返し、収益の上がる手法の模索を続けます。これらについては、当欄で何度も解説していますので今更述べることもないと思います。

投資家は、投資法を模索する過程で、どうしても投資手法などの技術的な究明に走りがちです。データを取り、統計の分析や研究に励みます。そして「これならいける」と実践に入ります。これらの研究、開発は大いに結構なことですが、しかし、投資においては、売買技術だけで勝てるものではないことも理解しておかなければなりません。

自分の納得するシステムを構築したとしても、実践において、そのルール通りの売買ができないということもあります。たとえば、損切り基準を決めておいても実行の段階で躊躇したり・・・。このように、投資は売買技術だけではなく、その他の要因、つまり、メンタル面などの要因も多く影響しているものです。

私は常々申し上げています。「投資の成果は、投資家の性格に回帰する」と。投資においては、最終的には実行力、決断力が問われることになります。実行力、決断力などは、テクニック(技術)ではなく投資家本人の問題です。これらについて、多くの投資家は、ないがしろにしているのではないでしょうか。

投資では、多くのストレスを抱え込むことになります。ストレスは人間をゆがませる結果にもなります。これらについても当欄で何度も解説しています。

人間はひとつのことに没頭すると視野が狭くなるものです。ましてや投資家は、一人で考えることが多く、更に視野は狭くなります。これはこれで間違いではないと思いますが、あまり一人で考えすぎると、本来、行こうとする方向から知らず知らずのうちに曲がってしまうものです。スポーツなどでは、これらを矯正するためコーチなどをつけて指導を受けます。

私の体験から「ひとりで考え悩むほど、正しい解決方法から遠ざかり、そして曲がる。考えすぎると、人間は臆病になる。しかし、人間は努力している限り悩むものでもある。悩み、迷ったら原点に戻れ。」と、私の語録に記載してあります。

投資の世界は孤独な仕事です。勝っても負けても自己責任です。最終決断は投資家自身で行わなければなりません。精神的なプレッシャーは大きなものです。相場の世界にコーチや監督などはいません。いるのは株仲間ぐらいなものです。

投資家は、誰でも自分の投資手法や考え方に、それなりの自信を持っているものです。株仲間の中でも自分だけは他の人と違うというプライドもあるものの、成績を比べてみると五十歩百歩。

しかし、株仲間と談義するのもそれなりに楽しいもので、問題解決は見出せないもののストレスの発散や精神的な癒しになるのではないでしょうか。おばさんたちの井戸端会議と同様に、他愛のない話をすることによって癒されることもあるのです。

投資においては、売買技術だけではなく、メンタルな部分の訓練や癒しも必要となってきます。これからは、これらの問題について考える必要があるのではないでしょうか。バランスの取れた投資活動によって、その成果はついてくるものです。

偏向報道と印象操作

私の友人はテレビの国会中継をみて「それはおかしい」とテレビに向かって怒鳴っているそうです。私も同じ年代なので見れば私も怒鳴るような気がします。なのでテレビは見ないようにしています。

年齢を経てくると、それなりの経験も積んで自分なりの考え方もでき上がってきます。そのため、現代社会には文句のひとつも言いたくなるのでしょうか。自分の歩んできた道のりは常に正しく、それに照らし合わせて今の社会は間違っているなどと吠えている。これを反対側から見ると現代社会から取り残された連中のようにも見える。

私は政治的には中立な立場であると考えるも、本当のところは政治にはあまり関心がないといったほうが正しいかもしれません。あまり関心のない私でも現在の政治に対するマスメディアの報道には目に余るところがある。

国会は政治を議論するところであるべきだが、最近は国会がワイドショー化しているようだ。政治家はこれからの日本をどのように導くべきかビジョンを持って議論していくべきであろう。もっと大事な議論があるだろう。

私は常々、マスメディアに対しては疑問を持っている。報道の仕方によっては国民の思想を誘導しかねない。メディアは政治権力に対して正しくけん制すべきものであり、賛否両論、是々非々で対応すべきであると考えますが・・・。

当欄は投資についてのコメント欄ではありますが、ここでもう少し脱線して私の考えを述べさせていただきたい。

現在のマスメディアの問題点について、テレビのニュース番組などで街頭インタービューがある。あれはまったく無意味であると思います。なぜなら偏った内容に編集ができるからである。たとえば、インタビューで反対意見と賛成意見が同数であったとしても編集しだいでどのようにでも加工、細工できるからです。

また、電話アンケートでも同様です。政党支持率などの集計のため電話アンケートする場合、アンケート調査のために電話をかける場合は、おおむね家庭の固定電話である(最近はケータイもあるかもしれませんが・・・)。一般に固定電話に出られる方は大体は年配者であろう。

その年配者の多くは家に居てテレビや新聞を見ているだろう。特にニュースやワイドショーなどを見ているため、その内容に無意識に引き込まれることになる。もし、そのニュースやワイドショーが偏向的な内容であったとしても、知らず知らずのうちに、その内容は正しいものだと思い込んでしまうでしょう。そのため電話アンケートでの答えもニュースやワイドショーの内容に沿った返答となるはずです。

私はテレビも新聞も見ないと述べてきました。では、情報源はどこからという疑問もあるでしょう。私の情報源はネット・ニュースなどから収集しています。なぜなら、溢れる情報量はテレビ・新聞の比ではありません。ネット・ニュースにはあらゆるニュースや情報が満載されており、取捨選択が可能であり、反対意見もあるし賛成意見もあります。その両論を読み比べて自分の判断が可能となるからです。反面、テレビや新聞は一方通行となります。

メディアの偏向報道と印象操作は周知の事実であると言われています。私は「情報過多は迷いを引き起こす。マスメディアの情報の9割はノイズ(雑音)。時として、メディアにより真実が嘘の情報のもとに隠蔽されることがある」と考えています。

かなり脱線してしまいましたが、私が上記のような考えを述べるのは、年齢的に世の中の中心から外れた存在になってしまったのかなあと少し寂しく思っています。

マスメディアの報道は政治にかかわらず、我々投資家にも及んできます。投資関係の報道はテレビ同様「やらせ」的な情報が溢れています。すでにご存知のように「私はこの手法で儲けました」「100万円を1年で○○倍にしました」「カリスマ投資家に聞く」「素人の私がこれだけ儲けました」など・・・。

投資初心者や負け続けている投資家は飛びつくかもしれませんが、経験の長い投資家には「バカ言ってんじゃないよ」となる。他人の勧める話に儲け話などないことに気づくべきです。儲かるのは儲け話を提供している人たちです。マスメディアの投資情報は要注意です。

投資家は他の投資家の意見は参考にしてもよいが、結局は自分で判断して決断し、失敗を繰り返しながら成長していく以外はないのです。このことをしっかり踏まえてください。